はじめに
宗祖法然上人の教え、すなわち選択本願称名念仏の義であるが、これを学ぶための基本資料が『選択本願念仏集』であることは、いうまでもない。
『浄土宗聖典』三巻所収『選択集』には平基親作とされる序が収録されている。その序に、
玄元聖祖(げんげんせいそ)の五千言(ごせんげん)、令尹(れいいん)早く上下の典を著す。 | |
(聖典三・九五) |
と記す文が見られる。この序に対する釈は少ないが、岸上恢嶺は、明治十三年刊『纂註』において、玄元聖祖すなわち老子が、函(かん)谷(こく)関(かん)を出て西に向かって去って行こうとした折、関所の官吏であった尹(いん)喜(き)の求めに応じ、説き示した五千言の言葉によって、『老子』すなわち『老子道徳経』上下二巻が残り伝えられたとし、この故事を示しながら、序文作者は、『選択集』撰述の縁由もそれと全く同様で、九条兼実の懇請によって宗祖が『選択集』を撰述され、これによって、本願称名念仏義を知るための基本典籍が残ったことを、善しとしているのである。
『勅修御伝』についても、平成二十年度で言及したが、『勅修御伝』一巻の冒頭に、
見む者の信を勧めむがために、数軸(すじく)の画図(えず)に著わして、万代(ばんだい)の明鑑(めいかん)に備う。 | |
(聖典六・六) |
と記する文を承けて、忍澂は『御伝縁起』の中において、
後伏見上皇(中略)万代の亀鑑にそなへまうすべき旨、舜昌法印に仰下さる。 | |
(浄全一六・九八三) |
と記して、『老子道徳経』と『選択集』、『勅修御伝』と説示する意は異なろうとも、典籍成立の縁由は、三書共に他からの要請によって成立したことになっている。そして、時代が下って如何に変わろうとも、普遍的に、いわゆる亀鑑としての価値を失わないことも共通している。
『選択集』と『勅修御伝』についていえば、いずれも亀鑑としての性格を持つ典籍であるが、『選択集』が十六章通じて本願称名念仏の教えを論述した教義の書であるのに対し、一方の『勅修御伝』は法然上人の全てを記した書と申してよいであろう。
明治四十一年、梶宝順師が宗祖七百年御忌記念として東光社より刊行した『勅修 法然上人行状画図』(平成六年、神奈川正観寺より復刊)に記す索引の目次をみると、(1)僧尼、(2)帝王、(3)公家、(4)武家、(5)婦女、(6)士庶、(7)寺院、(8)地名、(9)典籍、(10)法語、(11)消息、(12)起請、(13)霊相、(14)事蹟、(15)雑彙、以上十五にわたる項目を掲げている。
以上記す項目を見れば、『勅修御伝』には法然上人の教義的思想材をはじめ、法然上人の生涯、それに関連した事象全てが伝えられている、大変貴重な資料であることが知れる。その中より、今年度は「死生を超えて」というテーマのもとに『勅修御伝』を再読し考察してみたい。