時代も土地も文化もまったく異なる場所に生をうけた仏教の開祖釈尊と、浄土宗の宗祖法然上人。八十歳の生涯のなかで、約四十年に亘り共通して二人が追求し続けたもの、それは「生死からの解脱」。換言すれば「生死(人生の苦しみ)を超えること」でありました。
釈尊は、人間は生まれながらにして「死」という避けることができない無常苦をかかえていながらも、「生」に執着しようとするのは私たち人間が無明であるからということに気付かれました。
一方、法然上人は「学問と云ふとも生死をはなるばかりの学問はえすまじ、聖教を見るとも生死をはなるばかりの聖教をみるべしとも覚へず」という言葉を残されており、父の遺言のなかで示された怨愛をこえた心の自由ということも、かけがえのない自分の生死を、自分が解脱するには、知識としての仏法ではなくして、主体的に仏法を行ずるほかないということに気づかれたのであります。その後、上人は恵心僧都源信(九四二―一〇一七)が著された『往生要集』の序文から、生死解脱の道は念仏往生によるほかはないと見定められ、承安五年(一一七五)上人四十三歳の時、『観経疏』散善義の「一心専念弥陀名号」の文によって往生の確信を持つに至ったのです。
平成十八年度より『布教羅針盤』で『勅修御伝』をとりあげ、小テーマ設定を年度ごとにおこなうようになってから、はや四年の月日が過ぎ、今回で四回目の発刊をむかえました。今年度は「死生を超えて」とのテーマになっておりますが、これについては、本を読むだけで理解するのは大変難しいことであると私は思います。釈尊も法然上人もすべては自身の経験を通じ「生と死」について最後の最後まで考えられました。是非とも私たち一人ひとりが「生と死について」他人事としてではなく、自分事として真剣に考えていただきたい、そう願うのであります。
最後になりましたが、今回の発刊にあたりご協力いただきました布教委員会並びに御執筆各先生のお力添えに深甚の謝意を申しあげ、序とさせていただきます。
浄土宗宗務総長 里見 法雄