はしがき
宗祖法然上人の「明遍僧都との問答」は、私にとって、とりわけ味わい深いものです。
「(前略)念仏は申し候へども、心の散るをばいかがし候べき」
上人答ていはく「それは源空もちからおよび候はず」
僧都のいはく「さてそれをばいかがし候べき」
上人のいはく「散れども名を称すれば、仏願力に乗じて往生すべしとこそ心えて候へ。 ただ詮ずるところ、おほらかに念仏を申し候が第一の事にて候也」と。
この一節の後に、「欲界散地にむまれたるものは、みな散心あり。たとへば人界の生をうけたるものの、目鼻のあるがごとし」という有名な譬えが添えられています。その場に集まっていたお弟子さんたちの心に、さぞかし染み入る言葉であったことでしょう。
宗祖上人のおっしゃった「おほらかに念仏を申し候」ことは、私の座右の銘となりました。何年か後「おほらかに念仏を申し候が第一の事にて候也」の次に、小さな文字で、「これより前後にはいささかも詞なくていでられにけり」という詞書が添えられていることを知りました。つまり「この問答の前後には、少しの挨拶などの言葉もかわさずに(明遍僧都は)退出された」というわけです。
このことに気づいたとき、法然上人とお弟子さんたちとの心の通い合った間柄、法然上人のお答えを聞いて心底よろこび、挨拶することも忘れて帰ってしまった明遍僧都にあきれつつも、喜びを共有して温かく見守っている他のお弟子さん……八百年の時の隔たりを超えて、そのありさまが、まざまざと浮かんでくるような気がしました。法然上人と自分とを比べるのもおこがましいことですが、その十分の一でも、いや百分の一でもお伝えできたらと念じないではいられません。
「羅針盤=磁石の指北性を応用し、地磁気の南北の方向を知る装置。船舶に用いる」と辞書にはあります。私どもの乗り組む「浄土丸」が、進路を誤ることなく、間違っても「タイタニック号」の悲劇に遭遇しないよう、また本宗教師が宗祖法然上人の教えを歪めることなく伝え弘めるための指針として、『布教羅針盤』は編纂されています。
かつての『布教教化指針』が、平成十三年度から装いを改めて『布教羅針盤』となり、すでに五重勧誡編として「機」「行」「解」「証」「信」の五分冊が刊行されました。平成十八年度から、新たに『勅修御伝』シリーズとして「1怨親を超えて」「2別離、そして出会い」が編まれました。それに続く「3ただひとつの道」をお届けします。『布教羅針盤』をせいぜい活用し、法然上人八百年大遠忌に向けて教化に邁進してくださることを念願しています。
平成二十年四月
浄土宗宗務総長 稲岡 康純