1 誕生
法然上人は今から約八五〇年前に現在の岡山県久米郡で父・漆間時国と母・秦氏の長男として誕生されました。漆間時国について『勅修御伝』第一巻では次のように紹介しています。
彼の時国は、先祖を尋ぬるに、仁明天皇の御後、西三条右大臣光公の後胤、式部大郎源の年、陽明門にして蔵人兼高を殺す。その科によりて美作国に配流せらる。
ここに当国久米の押領使神戸の大夫、漆の元国が女に嫁して男子なんしを生ましむ。元国男子無かりければ、彼の外孫をもちて子として、その跡を継がしむる時、源の姓を改めて漆の盛行と号す。盛行が子重俊、重俊が子国弘、国弘が子時国なり。
(聖典六・九~一〇)
さて、伝説では本山寺という寺院で、漆間時国・秦氏夫妻が参籠をして子宝を祈願して、ようやく授かった子供と言われています。また誕生の折には紫の雲があらわれ、庭先の椋の樹にはどこからともなく流れてきた白い幡がたなびいていたという伝説もあります。偉人や聖者の誕生には、往々にして不可思議な奇瑞が起こるようですが、法然上人が誕生した時にも、見たことがないような不思議な光景があらわれたようです。この両親にとって待ちに待った男児こそが勢至丸、後の法然上人です。
勢至丸は両親の限りない愛情を一身に受け、たくましくも心優しい少年として成長していきました。昼間は庭先で竹を馬に見立ててまたがり、合戦の真似事をしていたそうです。また時折、西の方角を向いては夕陽の向こうに不思議な世界が広がっていると言い、静かに掌を合わせていたそうです。両親にとっては、すくすくと成長する我が子をあたたかく見守る幸せな日々が続きました。