◎ 第1章◎ 教学とのかかわり
『勅修御伝』に聞く─怨親を超えて
布教委員会委員長 伊藤 唯眞
はじめに
今回よりの『布教羅針盤』は『勅修御伝』(『法然上人行状絵図』)を取り上げることになった。『勅修御伝』を解説するのではなく、ここから講話、法話の材料を得て、その教学基盤、現代社会が抱えている問題とどのように取り組むことができるか、といった角度から考えてみようとするものである。
いうまでもなく、『勅修御伝』には法然上人の行状、教学、門弟らが織り込まれていて、素材は豊富である。年度ごとのテーマを五つに絞っているが、これに尽きるものでは決してない。一年一テーマであるから、これが終わったとき八百年大遠忌を迎えることになる。
そこで、『勅修御伝』の場合、遠忌と伝記との関係が無関係ではないので、遠忌を迎える門弟の心構えが伝記の編修態度とどのように通じあっていたかを考えてみると、それが「尋源」と「培根」の二語に集約できるのに気づかされるのである。根源に還って、正しい法然上人像とその教説を知り、念仏信仰の根を培う機縁としての忌日法要の奉修であり、伝記の編修であったことが理解できる。
今年度のテーマは「怨親を超えて」であって、すぐに主題にかかる思想的背景をのべなければならないが、右にのべた観点から、あえて忌日の講会の変遷を通して窺われる「尋源」「培根」の跡と、また同様の立場から編修された『勅修御伝』の目的について述べることにした。
法然上人への「尋源」と、念仏への「培根」によって、浄土宗の今日があることに想いを至して、あえてこれをもって『布教羅針盤』「勅修御伝篇」のいわば序説にあてることにした。筆者の身勝手さをお許しいただきたい。