五、おわりに
これまで結縁五重相伝の密室道場と第五重の勧誡において言及される口授心伝と三義校量の解説、さらに「平行線の教え(機辺の論理)」から「たすきがけの教え(仏辺の論理)」へという視点を通じて、浄土宗義の根幹ともいえる凡入報土の教えの基本的構造について言及してきた。
そこで最後に五重相伝全体における第五重の位置づけについて、『選択集』との関わりを踏まえて一言して擱筆したい。
かつて筆者は、初重伝書『往生記』の内容と二重伝書『末代念仏授手印』に説かれる宗義・行相の構造と『選択集』に説かれる選択本願念仏との教理構造との対応について次のように指摘した。
既に言及したように、初重伝書『往生記』における「機」の勧誡において、聖道門の教えの非現実性と私たち凡夫に残された道は浄土門に帰入する以外にないことが明らかにされているが、これは言うまでもなく『選択集』第一章「聖道浄土二門篇」の説示に通じている。次に、二重伝書『末代念仏授手印』の「宗義」における「第一重・五種正行」「第二重・正助二行」の勧誡によって、私たち凡夫に唯一残された往生行としての称名念仏へと至る筋道が帰納的に明らかにされるが、それは第二章「雑行を捨てて正行に帰する篇」の説示に通じている。さらに、「行相」における「第三重・三心」「第四重・五念門」「第五重・四修」「第六重・三種行儀」の説示によって、願往生人が念仏を称える際の心のありようや念仏を称えつつの日々の暮らしのあり方について演繹的に明らかにされるが、「五念門」と「三種行儀」こそ言及がないものの、それは第八章「三心篇」・第九章「四修法篇」の説示に通じている。このように初重『往生記』・二重『末代念仏授手印』の説示を通じて、『選択集』において機辺の立場から述べられているすべてのことが説き示され、最終的に『末代念仏授手印』の「奥図」を開示することによって、機辺の立場を積み上げた最終的結論としての結帰一行三昧が明らかとなるのである。そして、意識するとせざるとにかかわらず、その結帰一行三昧に徹した願往生人の姿こそ、法然上人が『選択集』において説示された三仏同心に「選択」された本願念仏の教えを内に体得し、外に顕現している姿に他ならず、同時に、善導大師が『観経疏』において説示された信機・信法をその身に具現化した姿なのである。(46)
その後、筆者は三重伝書『領解抄』や四重伝書『決答抄』の解説において、良忠上人がもっとも意を注がれたのが、法然門下を名のりつつも仏辺の側に三心を取り込もうと画策し、念仏相続を軽んずる輩に対する「機辺の三心」という揺るぎなき信念であったことを指摘した。
そうした機辺の側の積み重ねに対し、第五重の勧誡において取り上げられる凡入報土の構造は、仏辺の立場から選択本願念仏が語られる『選択集』第三章以下第七章および第十章以下第十六章、さらには三仏同心になる「八種選択」と密接に関連し、それはすなわち善導大師が説かれる三仏三経をいただく「信法」の説示と不可分のものであることが自ずから知られよう。
そもそも『選択本願念仏集』という書名がいみじくも明示しているように、法然上人が明らかにしなければならなかったのは他でもない去行論、すなわち、念仏と諸行の構造に決着をつけることであり、その基準こそが阿弥陀仏(・釈尊・諸仏)による「選択(=取捨)」であった。所帰・所求たる阿弥陀仏・極楽浄土をめぐる仏身論・仏土論の基本構造については、他ならぬ弥陀化身である善導大師が、如来等同という立場から報身・報土であると結論を明らかにされており、その議論はもはや不要であった。仏身・仏土の理解は善導大師による「金言=仏説=聖意」にひたすら「偏依」していればよかったのである(無論、こうした基本構造を踏まえつつも、阿弥陀仏の真化二身論や内証の功徳への「法身の生け捕り(47)」、極楽浄土における倶会一処(48)ど、法然上人独自の仏身論や仏土論の展開があることは言うまでもない)。だからこそ法然上人は、思考を巡らせ、推敲を重ねて『選択本願念仏集』を撰述されたのである。そして、その結果として法然上人が到達され明示し得た「選択」に基づく念仏と諸行の構造の典型こそが、第三章に説かれる勝劣難易二義、第五章に説かれる大小相対義、第十三章に説かれる多少相対義であり、凡入報土の構造を端的に明示し得た言辞こそが、第十一章の「極悪最下の人の為に極善最上の法を説く(49)」という一節に他ならない。こうして法然上人は、〈難行・劣善根・小善根・少善根〉なる非本願選捨諸行を抛って、〈易行・勝善根・大善根・多善根〉なる「ひとりだちをせさせてすけをささぬ
(50)」選択本願念仏を一向専修するという構造を築き上げ、浄土宗義を磐石なものとされたのである。
以上の点を振り返った時、七祖聖冏上人が「機・法・解・証」を経た五重相伝の綱格中、第五重を「信」として位置づけられた教学的由縁も自ずと明らかになってくるのである。
【御礼】宗門から「五重相伝、特に五重勧誡の一助となる一文を」との過分なるご依頼を頂戴し、五年間にわたり、まことに拙い駄文を披瀝してきた。乏しい知識の中で私なりに精一杯、祖師方への報恩謝徳を念じつつ、とりわけ宗祖法然上人の主著であり、浄土宗の第一の宝典である『選択本願念仏集』の構造を視野に入れつつ筆をすすめてきた次第である。とはいえ、紙面の制約などもあり、いずれを取っても、不充分の謗りは免れないと忸怩たる思いは尽きない。ご覧いただいた諸大徳には、一つの愚考と受け止めていただき、ご容赦賜るよう伏してお願い申し上げる次第である。
合掌
【註】
〈1〉聖冏上人の多彩な業績については、拙稿「第六章 七祖聖冏上人」(『平成十二年度 布教・教化指針』浄土宗、平成十二年五月)を参照されたい。
〈2〉拙稿「機を伝える―まず自己を見つめる―」『平成十三年度 布教羅針盤・勧誡編』(浄土宗、平成十三年十月)
〈3〉拙稿「法を伝える―結帰一行三昧―」(『平成十四年度 布教羅針盤・勧誡編』浄土宗、平成十四年十月)
〈4〉拙稿「解を伝える―二祖三代の伝統―」(『平成十五年度 布教羅針盤・勧誡編』浄土宗、平成十五年十月)
〈5〉拙稿「証を伝える―二河白道の比喩を通じて―」(『平成十六年度 布教羅針盤・勧誡編』浄土宗、平成十六年十月)
〈6〉『浄全』一・二三七・a
〈7〉『昭法全』四九二頁
〈8〉『浄土宗聖典』五巻二二三~二二四頁
〈9〉『浄全』一・二三六・a
〈10〉『正蔵』一七・六〇五・a
〈11〉『正蔵』一五・二三三・b
〈12〉『正蔵』三〇・二二・c
〈13〉『浄土宗聖典』一巻三一二~三一三頁
〈14〉『浄全』一・二三六・a~b
〈15〉『正蔵』一一・六三四・b
〈16〉『浄全』一・二三六・b
〈17〉『正蔵』一五・六三三・b
〈18〉『浄全』一・二三六・b
〈19〉『正蔵』二五・二三八・b
〈20〉『浄土宗聖典』六巻六五頁
〈21〉『浄全』一六・一六七・a
〈22〉『正蔵』三七・一八八・b
〈23〉『正蔵』三八・五六四・a
〈24〉『正蔵』三八・五六四・b
〈25〉『浄全』一六・一六七・b
〈26〉『浄全』一六・一六七・b
〈27〉『正蔵』三一・五八・b
〈28〉『正蔵』四五・三六九・b
〈29〉『正蔵』四五・三七一・b
〈30〉『正蔵』四四・八三四・a
〈31〉『正蔵』四五・六七・a
〈32〉『浄全』一六・一六七・b
〈33〉『浄土宗聖典』六巻六五頁
〈34〉『浄土宗聖典』二巻一八二頁~一八六頁
〈35〉『浄全』一六・一六八・a
〈36〉『浄土宗聖典』六巻六五頁
〈37〉『昭法全』四九九頁
〈38〉『観経疏』『浄土宗聖典』二巻二七三頁
〈39〉本稿で述べた「平行線の教え」から「たすきがけの教え」への論理展開は、法然上人の思想史上における阿弥陀仏という覚者による念仏と諸行の取捨という選択思想やその選択の聖意を定義づけた勝劣・難易二義の思想の成立過程、さらには、弥陀化身善導説の成立過程と密接に結びついている。その詳細については、拙稿「『選択集』における善導弥陀化身説の意義―選択と偏依―」(『仏教文化研究』四二・四三合併)、拙稿「法然上人における勝劣義の成立過程―『逆修説法』から廬山寺蔵『選択集』へ―」(『仏教文化学会紀要』八)、拙稿「法然上人における難易義成立の意義―機辺から仏辺へ―」(『阿川文正教授古稀記念論文集・法然浄土教の思想と伝歴』)、拙稿「法然上人による「人中分陀利華」釈説示の意義―勝劣難易二義との関連をめぐって―」(『佐藤良純教授古稀記念論文集・インド文化と仏教思想の基調と展開』第二巻)などを参照されたい。
〈40〉『昭法全』四八二頁
〈41〉『浄土宗聖典』二巻三二五頁
〈42〉「聖光上人伝説の詞」『昭法全』四六〇頁
〈43〉『四十八巻伝』第六巻『浄土宗聖典』六巻五六頁
〈44〉『選択集』『昭法全』三四八頁
〈45〉『観経疏』『浄土宗聖典』二巻二九〇頁
〈46〉前掲註(3)拙稿「法を伝える―結帰一行三昧―」を参照されたい。
〈47〉拙著『講義録・現代人における法然上人の受けとめ方―倶会一処・法然上人のものさし―』(浄土宗大阪教区布教師会、平成十五年三月)を参照されたい。
〈48〉拙稿「法然上人における倶会一処への視座―親鸞聖人との対比を通じて―」(『石上善應教授古稀記念論文集・仏教文化の基調と展開』第二巻、平成十三年五月)、拙稿「講演・新しい親鸞聖人研究に向けた一提言」(『真宗研究会紀要』三六、平成十六年三月)を参照されたい。
〈49〉『浄土宗聖典』三巻一六一頁
〈50〉「つねに仰せられける御詞」『昭法全』四九三頁