〈2〉「証」について
讃題
「問う、何が故に三心具足せる上に、現世の貪欲は強盛に起こり。後世の心行はなお弱く覚ゆるや。答う、貪瞋は無始串習の法なり。故に強し。願生は今生にはじめて励む心なり。故に弱きなり。他力本願はこの時に当たりて利益を施すなり。二河の釈に吉吉見合すべきなり」
(『浄土宗聖典』による)
初重「いかなる愚かな者にても」二重「南無阿弥陀仏と称うれば」三重「往生するぞと思いとり」と、お受け取りいただきまして四重に進ませていただきます。
四重は、これを「信後の用心」と申しまして、お念仏の信心をいただかれた後の用心のためにあておかれたものであります。 皆様方は、昨日のお剃度式において「日課称名」のお誓いをいただきました。この後は怠りなくお念仏申してくださることと存じます。しかし、お念仏申していただいたからといって、これからの皆様の日暮しが順風満帆、思いどおりに行くかと申しますと、必ずしもそうではございません。前にお話しいたしましたように、この世の、四苦八苦、苦しみ悩みは、財産、地位、名誉、学問をもって解決のできるものではありません。
いかにお念仏申していただいても、意に添わぬことも起きてまいります。頼りにしていた大事なお方とお別れするようなこともありましょう。順調に進んでいた事業が、はかばかしくいかなくなる事もありましょう。またわが命にかかわる病の縁を受けるような事も起こりましょう。そんな時に、「これだけお念仏申してきたのに・・・」、あるいは、「もう神も仏もあるもんか」と、今までの信心を、元も子もなく壊してしまうような縁の会い方もありましょう。また、他の信心のお誘いを受け、心揺らぐようなこともありましょう。 そんなときの用心のために、いかなることがあろうともお念仏で間違いない、心配ないと、その「証明」のためにあておかれましたのがこの四重の問題であります。
三祖良忠上人は、九州で浄土宗の三代目をお受け取りになり、しばらくは、九州、中国一帯をご教化に歩かれますが、やがて十年ほどが経ちましたころ、京都にお出ましになりました。京都には、法然上人の流れを汲むお方も大勢おいでになり、お念仏のみ教えも十分広まっておりました。そこで三祖様は、私の有縁の地は、いまだお念仏の縁の薄い関東であろうと決心なさり、東へ東へと足を運ばれたのであります。
まずは信州信濃の善光寺をお訪ねになり、しばらくここに留って多くの方々にお念仏をお勧めになりました。なぜに善光寺かと申しますと、それは生仏法師さまとの因縁によって、善光寺の阿弥陀如来様のお導きでお念仏のみ教えにお出会いくださったのでありますから、まずはお礼参りという事もあって、善光寺をお訪ねになったのであります。しばらくご滞在の後、群馬、茨城、埼玉、千葉と、関東一円にお念仏をお広めくださいました。
良忠上人が三代目をお受け取りになって、ちょうど二十年ほど経ち、下総の国、福岡においでになりましたころ、お隣の上総の国、周東というところに、在阿上人というお方がありました。この在阿上人は天台宗のお方で、その土地では学者といわれるくらい勉強もなさったお方でありましたが、あろう事かこのお方が血を吐く病を受けられたのであります。今なら治せる病気でありましょうが、当時としては不治の病であります。命旦夕に迫った時に、いささか焦りも手伝いまして、学問途中で、命の終わりを迎えては悔やんでも悔やみきれないと思われ、さまざまなお書物を取り集め、この世、後の世の大問題を解決しようと勉強なさるのであります。
そんな折、まことに不思議なご縁でございますが、二重のお巻物『末代念仏授手印』を手になさり必死でその道を求められました。ただ残念なことに、お師匠様について勉強したわけでなく、独学でありましたから、肝腎な所がなかなか納得いくように受け取ることができません。読めば読むほどに、さまざまな疑問がわいてくる。それならばと、他の人の話を聞いてみますが、これまた要領を得ない。これではとても心を落ち着けることはできないと思い至られて、これは法然上人面授のお弟子に糺す以外にないと、一大決心をなし、血を吐く病をおして、遠江の国蓮華寺の禅勝房様をお訪ねになりました。
しかし、このお方は無学の道心者、
「確かに、法然さまのお側にお仕えはいたしましたが、ただ教えの通りお念仏を申していただけの者でございます。あなたのお尋ねにお答えの出来るような者ではございません。そんな事ならば相模の国石川に、道遍様というお方がおいでになります。その方ならば必ずお答えくださることでしょう」と教えられ、また来た道を引き返し、道遍様をお訪ねになりました。 「せっかくのお訪ねではございますが、私はこの通りの老体でございます。あなたは、上総の国からお越しなさったとおっしゃるが、そのお隣の下総の国の福岡に、鎮西上人のお弟子で、浄土宗の三代目をお継ぎになったという、良忠上人がいらっしゃると聞きます。私が、法然上人のお側に居りました時、あるお弟子が、お師匠様にお訪ねをなさいました。
『師、亡き後は、どなたを頼りとすれば宜しいでしょうか』と、その時にお師匠様は、『鎮西の聖光房と、石垣の金光房は、わが教えを知れり』とお答えになられた事を、私は今でもはっきりと覚えております。そのお弟子である良忠上人ならば、必ずあなたの疑問を、正しく晴らしてくださいましょう」
在阿上人は、温情こもった懇切なお言葉をいただかれ、たいへんお喜びになり、康元二年正月十七日とありますから、関東空っ風の吹きすさぶ寒さの中を、杖にすがり明日をも知れぬ体で、もしその時、雪でも降っていたならば、真っ白い雪の上にポタリポタリと真っ赤な血を吐きながら、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」まさに決死の覚悟で、福岡の草庵をお訪ねになり、手に『念仏授手印』の疑問をかかげ、口に口伝の決答を請われたのであります。
良忠上人は、すでに齢六旬に迫り、目闇く手振う状態でありましたが、「来問の志を感じ、余寒の風を凌ぎ、頽齢の筆を走らせ」と表現されておりますように、この真摯なる求道者の熱情に揺り動かされ、問われるさまざまな疑問に対し、相伝の義をもって決定明答、きっぱりとお答えくださったのであります。
これを、ひと月の間に纏められ、出来上がったお書物が、『決答授手印疑問抄』二巻、これが四重のお巻物となります。作者は三重と同じ、三祖良忠上人であります。
在阿上人の疑問の内容は、授手印の全般にわたり、つまり六重二十二件五十五の法数といわれるそれぞれに関してのお尋ねで、その全部をお話しすることはとてもできませんが、その中、どんなお方でも、必ず一度は起こすであろう根本の疑問となっている一問一答を取り上げて、四重の証、「信後の用心」にそなえるのであります。
その疑問とは、讃題にお読みいたしました。
「問う、何が故に三心具足せる上に、現世の貪欲は強盛に起こり、後世の心行はなお弱く覚ゆるや」
「お尋ねいたします。三心具足してお念仏申せという授手印のお勧めどおりに、私はお念仏申しているのですが、どうして目の前の、貪りの煩悩は激しく起こるのでしょうか、これだけお念仏申したなら、それだけ心も静まり、少しはきれいになってもよさそうに思うのですが、それがきれいになるどころか、貪欲の煩悩は盛んに起きてまいります。それに比べたら、後の世はお浄土に生まれたいと願う心が、ない訳じゃない、それは嘘ではないんですが、それほど嬉しい気持ちで、それほど真剣な気持で、お念仏が申せないばかりか、申すお念仏が、甚だ弱く感じるのですが、これは如何したことでございましょうか。こんな頼りないことで本当に極楽往生はできるのでしょうか」とお尋ねになりました。
皆様方は、他人事のようなお顔で聞いていらっしゃいますが、そうじゃないんですよ。
もう少しわかりやすく申し上げてみましょう。
さて皆さん、明後日からハワイ旅行に出かけるという予定があったといたしましょう。
そうしたらどうでしょうね、今のお気持ちは、もう嬉しくてウキウキとしていることでしょうね。あるいは、お金儲けのお話となったらどうでしょう。それはもう真剣ですよね。そんな現実の、目の前のことには、「ウキウキとした心で真剣に力が入るのに、そんな思いで、それほどの真剣さで、お念仏が申せないのですがこれは如何したことでしょうか」ということであります。少しはわが身にお感じいただいたようですね。
受者の控室では、あれほど大きな声で楽しそうにお話しなさっているのに、「これから本堂でお念仏ですよ」と、合図の鐘がなったとたんに「青菜に塩」突然元気が無くなってしまう。
ハワイ旅行と極楽往生、儲け話とお念仏、どちらが大事か分からないわけではないけれど、どうしてもお念仏が、あとまわしになってしまう私たちでありますが、目前に命の終わりを迎えていらっしゃる在阿上人は、真剣ですから、この事をあとまわしにはできなかった。
「答う、貪瞋は無始串習の法なり。故に強し。願生は今生にはじめて励む心なり。故に弱きなり」
「お答えいたしましょう。在阿さん、貪瞋煩悩はいつから持ってきましたか。この世に生まれてからではないでしょう。始め、いつとも分からない、無始より以来持ってきたものではないですか、それは根が深い。ちょっとやそっとで無くなるようなものではありません。それに比べて、お浄土へ生まれたいと願う信心、つまり願生の心はいつできましたか。それはこの世に生まれてからできた心でしょう。根が浅い。比べものになりません。それでも心配しなさんな、在阿さん」
「他力本願は、この時に当たりて利益を施すなり」
「あなたが弱いと心配なさる、その願生の心で申されるお念仏、ここには阿弥陀様の本願他力が働いてくださいます。いかに煩悩激しくわき起ころうとも、その煩悩の中から申すあなたのお念仏に、仏が必ず働いてくださいます。己が小さな計らいをせずに、仏に任せきってお念仏を申していきなさい」とおさとしになり、
「二河の釈に吉吉見合すべきなり」
「在阿さん、それでも納得がいかないなら、善導大師の・二河の釈・と、わが身の姿とよくよく見合わせて御覧なさい」とお答えになりました。
その「二河の釈」とは、中国の善導大師が『観経疏』というお書物の中に長い文章で、私たちの信仰の道行を説き明かされたもので、「二河白道」の譬えともいわれるものであります。文章ではなかなかいただきにくいというところから、ここにお掛けいただいておりますように一幅の絵図にまとめていただきました。今はこの絵図を借りてお話を申し上げましょう。
これどうぞ、他人事と見るのではなく自分に、わが身に引き取ってお受け取り願いたいのであります。
善導大師のお言葉では、
「譬えば人あって西に向かって百千の道を行かんと欲するが如し」と始まりますが、この絵には、まず方角があります。「旅人一人東より、西に向かうに大河あり。北は逆巻く水の渦、南は燃ゆる火のほむら」とご和讃に歌われますように、河のこちらが東、向こう岸が西で、この白い道の右が北、左が南。つまり東西南北です。そしてこの河の中に人が一人描かれています。これが旅人、その旅人とはどなたのことでしょうね。そうです、自分であります。そうお受け取りください。そしてこの絵にも少し時間の流れがあります。この旅人も初めからここにいたのではありません。最初は、こちらの東の岸にいました。この旅人は当てもなく、はても知れぬ大野原をトボトボと歩いておりました。気づいてみますと、そこは真っ暗闇、一人ぼっちでお連れがいない、そして正体不明のものに突かれたり、斬られたりの苦痛を覚えるのです。そこでこの人は、明るさと、仲間と、心穏やかなる処を求めたのであります。この事を、「西に向かう」と善導大師は表現されました。
若くて、 フが達者なときは考えることもなかったが、だんだん人生の経験を重ねてみると、この世の無常をわが身にも感じ、また身の回りにも無常の悲しい縁が訪れ、親が、兄弟が、親戚が、友人が、一人減り二人減りしてきますと、そんな経験を重ねるたびに「孤独感」はつのり、他人事ではなくなってくる。その時に、このままの自分で良いのか、何か虚しいものを感じ、確かなものをもとめ、暗闇にいた自分に気づいたとき、奇しくもご当山に五重相伝が勤まり、今ここに座らせていただいたということであります。つまり、心を西に向けたということであります。
そうしますと、今まで真っ暗闇に閉ざしていたものが晴れ、今までは暗闇で気づく事はなかったが、突然、もっと恐ろしいものが目の前に広がった。それが水の河と火の河であります。「両辺ほとりなし」。「深さは測りなし」。どこまで続くのか、どれほど深いのかわかりません。およそ川幅は百歩。轟々と渦巻き、メラメラと燃え上がる大河を前に、足はすくみとても前へは進めない。ならば後ろへ下がろうと振り向けば、後ろからはさまざまな武器を抱えた群賊が押し寄せてくる。横へ走ろうとすれば狐や虎といった悪獣が牙を鳴らして襲い来る。では、ここへじっと止まったらどうか、やがては群賊悪獣の餌食となること疑いなし。進むも死、下がるも死、止まるも死。これを「三決定死」と申しまして、ひとつとして助かる道がない。絶体絶命、二進も三進もいかん。まさに進退ここに谷まれり。自分の力では助かりようのない、どうにもならん自分だと気づいた時にはじめて「たすけて!」という悲鳴にも似た、大いなるものを頼む、すがる思いがおきてくるはずであります。その時に、今までは水の河、火の河とばかり見えていたものが、必死に救いを求めたときに、二河の間に幅四、五寸の、か細い白き道が向こう岸まで続いているのがはじめて見えてきたのであります。「幅四、五寸の道なれば、足踏み立てんほどだにも、水に潤され、火に焼かれ、おしなべてほとんど河とのみ見えたり」と表現されておりますから、ふたつの河の大きさにくらべたならば、それはそれは、か細い道であります。しかし、下がっても止まっても死であるならば、こんな細い道、とても向こう岸まで渡りおおせるとは思えないけれども、道があるなら、その道渡る以外に方は無しと、今一歩二歩と、足を白道に踏みいれたのであります。
恐る恐るも、その白道に足を踏み入れてみますと不思議なことに、後ろから尊い声が聞こえた。
「汝、その道を行け、死の難なからん!」
死にはせん、水の河火の河、怖ろしいだろうが心配ない、その道まっすぐ西へ進めと励ましてくださる。
同時に、また前の方から、
「汝、正念にしてその道を来たれ、われよく汝を護りて、誓って水火の二河には落とすまじ」
心落ち着けてその道を歩いて来い。その道はお前が、お前の力で渡る道ではない。私が、お前を護って必ず渡してあげる道だから、水の河にも、火の河にも落としはせん、安心して、その道にうちまかせて渡って来いと頼もしく呼びかけてくださる声が聞こえた。 もうこの旅人は、後ろから行けと勧めてくださる声と、前から来たれと招いてくださるその声を頼りに、おのが計らいうち捨てて、この白道を、この道行く以外に助かる道はないと、心決定して進んで行く。
そうしますと今度は、東の岸より、
「そんな細い道が行ける訳がないじゃないか、引き返せ引き返せ、水の河に落ちるぞ、火に焼かれるぞ。私たちはお前に悪いことをする者じゃない、引き返せ、戻って来い」と呼びかけてくる。
しかし、もうこの人は、後ろから「行け」と勧めてくださる声と、前から「来たれ」と迎えてくださる声に、「一点の疑いもなく」ほかの声には耳も貸さずに、この白道をひたすら歩み続けてまいります。
「須臾にして西岸に至る、諸難を離れ、善友相見え、慶楽已むことなし」
しばらくの後に、西の岸に到達し、さまざまの苦難を離れ、良いお友達たくさんと再会し、楽しいこと極まり無しと、善導大師はお示しになり、長い文章の終わりに、「是はこれ譬えなり」と結んでおられます。
ひと通りのお話を申し上げましたので、もう皆様はお気づきのことと思いますが、これは譬えでございます。ではそれぞれが何に譬えてあるのかをお話し申し上げておきましょう。
はじめに真っ暗闇ということは、愚痴の煩悩、無明の煩悩に包まれて、信仰的には、まさに暗闇をさまよっていたということ、目の前の社会生活にはなんの不都合もお感じにならなかったかもしれないが、仏の目に見られた私は、六道に迷い危険極まりない日暮しであったことを譬えてある。そんな中で自分自身の本当の姿をよくよく顧みてみたならば、頼りになるものを持たず、無常なる世の姿を真剣に考えることもせず、あてにできないものをあてにしきっていた、愚かな、また罪深い私であったと気付かされた時、これではいけない、このままではいけないという心の叫びにこたえて、この五重についた。何か心に確かなるものを得たい、掴みたいという思いでここにお座りくださったということであります。
こうして心を西に向けたとき、この煩悩の愚痴の黒雲がスーッと晴れたのです。しかし、すべてが晴れたわけではないからまだここに残してあります。そして、ここに一匹の蛇が描かれています。これは愚痴の煩悩の象徴です。愚痴ばかりこぼしていますと人には嫌われる。嫌われ者を代表して、蛇が描かれています。
さあ、この黒雲が晴れてみますと、前よりもっと恐ろしいものが目の前に広がった。これが水の河、火の河であります。これは私たちの貪りの煩悩と、腹立ちの煩悩を表しています。貪りは、順境にあってどこどこまでも膨らんで、すべてを自分に取り込もうとする水に似た性格を持っています。「欲深き人の心と降る雪は積もるにつけて道見えぬなり」と申しますように、欲の心が深くなりますと、道理を忘れ、人として歩むべき道が見えなくなって、落伍していかなければなりません。財の貪り、淫の貪りで失敗する人は世間に多々あることであります。これは人目を避けてこそこそ行われるから、陰気な北の方においてある。
いっぽう腹立ちの煩悩は、メラメラと燃え上がる炎であります。隠すことのできない派手なものですからこれは南にあります。怒りの心は、違境にあって起こるといわれています。つまり、自分の思いにそむくことがあれば、たとえ相手に理があろうとも、これを憎み、妬むのであります。瞋恚の炎ともいわれるように、わが身を焼くほどのものですから火と譬えてある。あとさきのみさかいなく突然起こってくるところから、「腹立ちしときはこの世も後の世も、人をも身をも思わざりけり」でありまして、縁のない時に「怒れ!お金やるから怒れ!」といわれて、わけもなく怒れるものではないけれど、縁に触れたら、もうおかまいなしですね。どんな所であろうが、たとえば結婚式のめでたい席であろうとも、誰が見ていようとも、縁に触れたら、あとさきのことも考えずに、バーッと燃え上がってしまうのが、腹立ちの煩悩であります。
このまま前へ進んだらこの河へ落ちて死んでしまう。死んでしまうとは、信仰的に死んでしまう。信仰に目の開くことはないということであります。
では後ろへと振り向けば、ここに六人の賊が描かれています。それぞれ、刀や槍や弓矢などの武器を手にしています。暗闇の中でせめたてられていたその正体は、この六賊でありました。後ろへ下がるとこの賊に殺されてしまう。この六賊とは何か、これは外にあるものではなく、私どもが身近に持っているものでなければ困るものであります。つまり「眼耳鼻舌身意」の六根のこと、六根清浄などと申しますが、私たち凡夫の六根はみな不浄になっている。つまり、煩悩に引きずられたままの生活でありますから、眼で見るがゆえに欲しくなり、耳に聞くから腹が立つ、鼻で嗅ぐから食べたい飲みたい。舌も身も意も、みんなそのとおり。煩悩を主人とした日暮しでは、尊いはずの六根が、みんな私を苛める賊の働きをしていることを表しています。
「歓楽きわまって悲哀多し」と申しますように、煩悩にうちまかせ、快楽を、ほしいままに貪った日暮しは、一時的に楽しいでしょうが、結局は悲しみのどん底を見、虚しさと、侘しさが募るばかりであります。
前へ進めぬ、後ろへ下がれぬとなれば、横へ逃れるよりほかにすべはないと、横へ走ろうとすれば、悪獣が迫り来る。虎や狐など四匹の動物が恐ろしい形相で描かれています。
これもまた、私の信心を妨げるものであります。初重でお話しいたしました往生の障「四障」を譬えたものであります。私たちの信心がなかなか徹底せず、中途半端になってしまうのは、どんな人といえども、仏さまにすべてをまかしきれない、狐のような猜疑心をもっている。また、虎のような高慢心を持ち、仏さまに帰依する心を壊されてしまう。これが信心の邪魔、最も大きな妨げとなるものであります。
進退ここに窮まり、ここに至って、どうしようもない自分。ひとつとして助かりようのない自分だと気づいたとき、はじめて、大いなるものに縋りたい、心に確かなるものをいただきたいという、真剣な願いが起きてくるのであります。
「衆生貪瞋煩悩中能生清浄願往生心也」
激しき煩悩の中からも、純白の、清らかな信心、仏を頼み、往生を願う心が、はじめて真剣に起こるのであります。これを幅四、五寸の白き道と譬えられたのであります。
苦悩のはてに、迷いのどん底にあって、窮地を逃れるすべのない、絶体絶命の自分をお救いくださるのは弥陀の本願、つまり白道であります。その白道は向こう岸まで続いているが、問題はこの道行く以外にないと決定して、深く信じるかどうかであります。この決定往生の信心定まらず、まだ迷っているならば、これを見て群賊悪獣が迫ってくることは申すまでもありません。たとえ道は細くとも、水火の二河の勢い盛んであろうとも、この道行く以外に助かる道なしと確信するということが大切なことであります。
「既にこの道にあり必ず渡るべしと」この道以外に助かる道がないと気づき、死より、生への一歩一歩が踏み出されるのであります。まさにそれは九死に一生を得る歩みであります。
「この念をなす時、東の岸に忽ちに人の勧る声をきく。汝その道を行け。死の難なからん。もし住らば即ち死なんと」これはお釈迦様の二千五百年前の、勧誡のみ声であります。
お釈迦様は、多くのお経様を遺されましたが、その中、「浄土の三部経」に、いかなる者も、西へ向かえば助かるという教えを説いてくださった。そのことを指して「釈迦は行け」とお示しくださっているのであります。
また、西の岸からは、
「汝正念にしてその道を来たれ。われよく汝を護りて、誓って水火の二河には落とすまじ」。これは阿弥陀如来の、大悲召喚のみ声であります。弥陀の本願他力が、私の往生を助けてくださること間違いなしということを表してくださったものであります。
「釈迦は行け、弥陀は来たれの中に我、押され引かれて参る極楽」
「前は弥陀、後ろ釈迦牟尼、中に我、押され引かれて生きる人の世」
後ろからは、お釈迦様が「行け」と遣ってくださる。前からは、阿弥陀様が「来たれ」と迎えてくださる。このことを「二尊遣迎」と申します。善導大師も「二尊の遣迎にしたがって、速やかに浄土にかえれ」とお勧めになりました。
そこでこの人は、釈迦・弥陀の声を頼みに、道はか細く危ういけれど、心決定して河を渡るのであります。
さて、二足三足と進んで参りますと、今度は、後ろの群賊が、この人を呼び返して、「そんな細い道が行けるわけないじゃないか、引き返せ引き返せ、火の河に落ちるぞ、水の河に溺れるぞ。私たちはあなたに決して悪いことをする者じゃないぞ」という声が聞こえてきた。ここへ、少し姿の違う宗教家が四人描かれていますが、これは、異学意見別解別行と申しまして、私たちとは、信仰の立場の違うお方を譬えたものであります。この二河白道の譬えを説いてくださった本意は、私たちの信心を守ることが大事であるから、わざわざこの譬えを説いてくださったのであります。弥陀の浄土に往生させていただくまでは、生涯かけてこの白道を歩み続け、決してはずしてはならないのであります。油断や迷いが些かでもあったなら、二つの河に落ちてしまうのであります。しかしながら、ひとすじに信じて疑わないということは、また難しいことであります。私たち凡夫の身は、迷いやすく、甘言に誘われやすい。ひとたび思いにかなわぬことが起こってくると、すぐに心迷わせ、誘惑に乗りやすいものであります。また家族に不幸が続いたような時でも、普段は信心を持ちながらも、事がわが身に降りかかりますと、案外弱いものであります。そんな時、いとも簡単に異学意見の人に迷わされ、別解別行の人に信心を曲げられてしまうのであります。まさに「弱り目にたたり目」で、ここにつけ込んでくるのが群賊であります。その道は危ないと誘い、せっかく往生浄土の白道を歩みかけた人を惑すのであります。この事を深く案じてくださったのが、善導大師であります。私たちの信心を護るために、群賊の呼び声に惑うなと、お示しくださっているのであります。
「この人喚ぶ声を聞くと雖もまた顧みず」
「一心に直ちに進んで道を念じて行く」
ここが、この譬えの最重要であります。誘惑を振り切り、甘い誘いに乗らず、みずからが信じた道を勇猛果敢に精進する。この心なくしては弥陀の西方浄土に往生することはできないのであります。この旅人もその白道を一心に歩み続けて、
「須臾にして西岸に到りて永く諸難を離れ、善友相見て慶楽已むことなし」という最上至極の慶びを頂戴することができたのであります。
この譬えをもって在阿上人が、安心決定されましたように、私たちもこれに倣い、今日からさきの日暮しは、いかに煩悩激しくわき起ころうとも、起こらば起これと「二尊の遣迎」にしたがって、また異学意見の声には耳もかさず、己が計らいうち捨てて、ただ白道のひとすじ道を、この道よりほかになしと、「一点の疑いも無く」日課称名に励んでまいりますと、安心決定させていただくのであります。
四重は、これを「一点の疑いも無く」とお受け取りいただくのであります。
「いかなる愚かな者にても」(初重)
「南無阿弥陀仏と称うれば」(二重)
「往生するぞと思い取り」 (三重)
「一点の疑いも無く」 (四重)
とお受け取りいただきまして、次はいよいよ最後、第五重であります。
以上、四重終わる。