四、おわりに

 最後に浄土宗伝法史上における『決答抄』の占める位置付けについて、今一度、確認の意味を込めて次の二点を提示して閣筆したい。
 第一に、最終問答である第八十二問答「善導寺聖人の御房の長時の御勤め、ならびに御臨終次第の事」において良忠上人は、師聖光上人の行実について次のように述べられている。

 問う、流れを酌んで、源を尋ぬ。故に、長時・臨終の、御行儀の次第、如何が御坐(ましま)し候いけん。答う、長時の御勤めは、生年三十六の夏より、七十七の春に至るまで、時剋一分も違えず六時の礼讃と六巻の『阿弥陀経』とを、御勤め候いき。御念仏は毎日に六萬返なり。初夜の後、暫く打ち臥したまう。子(ね)の半ばに至って、驚いて中夜の行法を始められ候いし。後には御音ある念仏にて、後夜に継ぎ、後夜より夜の曙るまで、御念仏の声は、懈怠ある事は、少しも見えず候いき。晨朝と日中と日没との礼讃は、御堂にて候いき。夜の中に大略六萬返は、御勤め候いし様なり。「御念仏の中に時時(よりより)、助けたまえ阿弥陀仏と雑じえ言う」と仰せられ候う。如法、勇猛に見えたまい候いき。八旬の老体、寒熱の時に至っても、少しも怠らず御坐し候しなり。(35)

 聖光上人による実に尊き念仏相続のありさまが語られている。良忠上人は、師聖光上人のこうした日々の行実を目の当たりにされていた。無論、師聖光上人は、先師法然上人による日課六万遍、七万遍のありさまをご覧になっていたからこそ、自身の日々の生活がこうした念仏相続を中心とする生活となったことは言うまでもなかろう。正に法然上人が『一枚起請文』に述べられる「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」(36)を具現化した日々の行実だったのである。最終問答において良忠上人がこうした師の伝歴を子細に述べられた由縁が、生涯を通じて師聖光上人が修め続けられた念仏相続を軽んじ、師聖光上人が常に仰せられていた「助けたまえ阿弥陀仏」との思いを基調とする三心の理解を曲解した輩に対する強い憤りからであったのは明らかだろう。こうした念仏相続を軽んずる輩に対して良忠上人が厳しい姿勢で対峙されたのは当然の帰結なのである。
 第二に、『決答抄』自跋において良忠上人は次のように述べられている。

  そもそも、『末代念仏授手印』は分明に義道を顕さずといえども、言は少なく、多く義勢を含む。然れば、口伝を聞かざるの人は、輒(たやす)く以て是非し難し。今、在阿弥陀仏の疑問に依って、憖(なまじい)にその疑いの決答を書く。一門信受の輩に非ざるよりは、許し写さしむべからざる者なり。たとい一門なりといえども、その器量を選んでこれを許すべし。自ら不信の人有らば、相承を謗るの咎(とが)有るべき故なり。もしこの旨に背いて、左右(とこう)無くこれを写さしめば、永く仏天の利益に漏るべきの状、件のごとし。(37)

 この一節からは、『選択集』最末尾の「壁底に埋めて窓前に遺すこと莫れ。恐らくは破法の人をして、悪道に堕せしめんことを」(38)という、お念仏の教えを誹謗する者が悪道に堕ちることをなんとかして防ごうとする法然上人の優しさに共通する思いが感じられる。しかし、その一方、「我れ首をきらるとも此の事いわずばあるべからず」(39)という、正しいお念仏の教えを説かずにはいられないという法然上人の大いなる慈悲と共鳴する思いも伝わってくる。だからこそ良忠上人は、在阿からの真摯な「疑い」に対する「決答」を前面に押し出し、本書を『決答授手印疑問抄』と命名したのであろう。今も多くの方々から寄せられる種々の疑問に対し、私たち浄土宗僧侶一人一人が正しく「決答」しているかと、記主禅師と讃えられた良忠上人は、お浄土から見つめ続けておられるようである。
 以上、五重相伝の四重伝書に据えられた『決答抄』の勧誡において留意すべき点として、良忠上人による『決答抄』撰述の意図、二河白道の譬喩を通じた浄土宗義理解の基本について言及してきた。とはいえ、紙面の制約などもあり、いずれを取っても、不充分の謗りは免れないと忸怩たる思いは尽きない。ご覧いただいた諸大徳には、一つの愚考と受け止めていただき、ご容赦賜るよう伏してお願い申し上げる次第である。    合掌

【註】 〈1〉聖冏上人の多彩な業績については、拙稿「第六章 七祖聖冏上人」(『平成十二年度布教・教化指針』浄土宗、平成十二年五月)を参照されたい。
〈2〉聖冏上人の多彩な業績については、拙稿「第六章 七祖聖冏上人」(『平成十二年度布教・教化指針』浄土宗、平成十二年五月)を参照されたい。
〈3〉拙稿「法を伝える―結帰一行三昧―」(『平成十四年度 布教羅針盤・勧誡編』浄土宗、平成十四年十月)。
〈4〉拙稿「解を伝える―二祖三代の伝統―」(『平成十五年度 布教羅針盤・勧誡編』浄土宗、平成十五年十月)。
〈5〉『浄土宗聖典』五巻二九三頁。
〈6〉『浄土宗聖典』五巻二九三頁。
〈7〉『浄土宗聖典』五巻二九五頁。
〈8〉『浄土宗聖典』五巻二九六頁。
〈9〉『浄土宗聖典』五巻二九六頁。
〈10〉前掲註(3)拙稿「法を伝える―結帰一行三昧―」。
〈11〉『浄土宗聖典』第五巻二二四頁。
〈12〉『浄土宗聖典』第五巻二四六頁。
〈13〉『浄土宗聖典』第五巻二九七頁。
〈14〉『浄土宗聖典』第五巻二九八頁。
〈15〉『浄土宗聖典』第五巻二九九頁。
〈16〉前掲註(4)拙稿「解を伝える―二祖三代の伝統―」。
〈17〉林彦明台下『昭和新訂・三巻七書 附解題』「解題」六二頁。
〈18〉深貝慈孝師『決答授手印疑問抄』「解題」(『浄土宗聖典』第五巻六一〇頁)。
〈19〉『浄土宗聖典』第五巻三四六頁。
〈20〉『浄土宗聖典』第二巻二九六頁。
〈21〉『浄土宗聖典』第二巻二九八頁。
〈22〉『道元全集』下巻一五二頁。
〈23〉岩波文庫『夢中問答』一八二頁~一八五頁。
〈24〉「修学についての御物語」『昭法全』四八六頁。
〈25〉『正蔵』八四・二〇五・c。
〈26〉『選択集』第三章(『浄土宗聖典』第三巻一一五頁)。
〈27〉香月乗光師「法然上人の浄土開宗における仏教の転換」(『法然浄土教の思想と歴史』)など。 〈28〉望月信亨猊下『浄土教概論』(『浄土宗選集』第五巻二一五頁~二一七頁)。
〈29〉「念仏大意・『昭法全』四〇九頁。
〈30〉・十二問答・『昭法全』六四〇頁。
〈31〉「つねに仰せられける御詞」『昭法全』四九三頁。
〈32〉・浄土宗略抄・『昭法全』五九六頁。
〈33〉「聖光房に示されける御詞」『昭法全』七四五頁。
〈34〉拙稿「法然上人における倶会一処への視座~親鸞聖人との対比を通じて~」(『石上善應教授古稀記念論文集・仏教文化の基調と展開』第二巻、平成十三年五月)、拙稿「講演録・新しい親鸞聖人研究に向けた一提言」(『真宗研究会紀要』三六、平成十六年三月)を参照されたい。
〈35〉『浄土宗聖典』第五巻三七一頁。
〈36〉『昭法全』四一六頁。
〈37〉『浄土宗聖典』第五巻三七三頁。
〈38〉『浄土宗聖典』第三巻一九〇頁。
〈39〉「御流罪の時西阿弥陀仏との問答」『昭法全』七一五頁。