本堂式『暗夜説法』(其の二)
割笏 一下
「衆生貪瞋煩悩障 十声称念罪皆除」
″日は暮れぬ 月はまだ出ぬ 闇の夜に
ところ定めぬ 旅ぞ悲しき″
とぼとぼと一人の旅人が、重い大きな荷物を背負って、暗い夜道を歩いています。達者な足にまかせて強引に進もうとしますが、真っ暗でどちらをめざせば良いのやら!
只今、書院からこの本堂に入るまで、真暗の中をおぼつかない足取りで、ぐるぐる廻ってやっとその場に着いて頂いたのがこの姿で、これは今日までの皆さんの姿を表すのです。
大きな荷物は、欲深か煩悩、腹立ち煩悩、ものわかりの悪い愚痴の煩悩の三毒煩悩、根本煩悩のことです。人生の目標も、日々の正しい判断の基準も持たずに、ただ目の前のことに追われ、自分の煩悩を満足させることに四苦八苦している姿を、この暗夜道場で表わしています。これを無明長夜六道輪廻の表示と申します。無明とは、明かり無しと書きます。煩悩の黒雲に覆われて自分さえ良ければよいという姿です。
次に手に持って入られた一本の線香は、皆さんの仏性を表わします。即ち仏心であります。しかし今は誠にか細いものです。どうかこの仏心を大きな大きな明りに育て上げて頂きたいのです。
皆様、少し目を上げて正面をご覧下さい。仏前に一本の線香の明りが見えます。これは皆様の願往生心を表わします。浄土に往き生まれたいと願う心です。この明りも、今は誠に小さいものです。煩悩に穢れたこの娑婆を嫌い離れて、どうぞ仏様の極楽浄土を願い求めるように、この灯りを大きく育て上げて下さい。
次に仏前で三つの鉦を打って頂きましたが、これは心の中の三毒煩悩、即ち貪・瞋・痴が、始めのないほどの大昔から自分の心の中に、巣くっていたことに気ずくよう鉦鈷を打って頂いたのです。この三毒煩悩が原因で、悪い所業をやってしまい、真っ暗闇にしているのです。『梵網菩薩戒経』に説かれてあります。「汝、罪ありと知らばまさに懺悔すべし。懺悔すれば安楽なり。懺悔せざれば罪ますます深し」と。
そして懺悔は、来懺往悔と言って、今までの罪を反省し、悔い改めるだけでなく、これから未来永劫に絶対いたしませんと戒めるのです。その懺悔反省には、念仏申して頂くのが一番の方法です。
それでは私の切り十念に合わせて、十返の懺悔念仏をお唱え下さい。正座合掌してください。その合掌のまま、掌が畳につくように身体を前に倒し、その合掌の手の上に額を乗せて下さい。少し苦しいですが、懺悔反省ですから苦しくとも当然でありますので、そのままで切り十念を唱えて頂きますと、この暗夜道場は一変して光かがやく光明道場となり、極楽浄土の姿を表わします。その光明道場で、ご住職の『十悪懺悔文』に合わせて三唱一礼の懺悔礼拝を十返して、懺悔道場は終わるのです。
さあ、それでは正座合掌した手を畳に着くまで下げて、額をその上に乗せて下さい。
割笏 一下
「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔」 割笏 一下
切十念
(平成14年度 浄土宗布教羅針盤 勧誠編「行」より)