(2)「行」について
初重は「機」、「如何なる愚かなものにても」とお受け取りを頂きまして、二重は「行」愚かなこの私が、如何なる「行・法」に依って救われていくのか、その「行」についてのお示しが二重の問題となります。
初重は、信仰の基礎土台、二重が五重の中心となって参ります。
お巻物は、浄土宗第二祖、聖光房弁長(鎮西上人)の『末代念仏授手印』を戴きます。
伝灯分については紙面の都合で省略致しますが、聖光上人が法然上人の十七回忌を迎えます時、「その義を水火に争い、その論を蘭菊にいたす」と、自らが嘆かれましたように、元祖様のみ教えの乱れることを憂えられ、安貞二年十一月、肥後の国往生院に於て二十数名の学徒と共に、四十八日間の別時念仏を修行される中に、元祖様のみ心、浄土宗の安心・起行・作業、詳しく申せば六重・二十二件・五十五の法数という大部に亘るものを、「然師報恩の為、末代の疑を決せんが為に」と伝え残して下さったお書物であります。
したがいましてこの大事を相伝致します時は、「師資合血」の手印の作法をもって伝えると定められているのであります。
まず起行についてでありますが、私はこのことを、文治二年の秋の頃に、京都大原で行なわれた「大原談義」を通してお伝え致しております。
それは顕真法印の肝入りで大原勝林院に集まられた、比叡山・高野山・南都の学匠三百余名との「論談往復一日一夜」に及ぶ大論争でありました。
矢継ぎ早やの質問の中にはたいへん厳しいものがありました。
「法然様、あなたが此の度新しいお宗旨、浄土宗をお立てになりましたが、私共の宗旨の立場からはどうにも納得ができません。仏教と言うからには、お釈迦様の教えと申すなら、はずしてはならない三本道があるはずだ。戒を持ち、精神を統一し修行に励み、正しい道理を見極める智慧を具える、つまり戒・定・慧の三学はすべての宗旨に説くところであります。それをどうですか。あなたのお宗旨の教えを承われば、戒の持てないものが、持ち得ないどころか、罪悪業を重ねる者が、心を落ち着けよと示されるのに、想いの乱れる者が、智慧の眼を見開けと教えられているのに、頭の中で判っていながらその通りに実行のできない愚鈍の者が、これが『南無阿弥陀仏』のお念仏を申しただけで救われていく。そんな教えを認める訳には参りません。納得できないことであります」
そんな厳しい指摘を受けられたのであります。その時に法然上人は、並みいる三百余名の学者に向われて、
「皆様方は、聖でいらっしゃる。立派なお方々でいらっしゃる。ですから皆様方のお心のうちはこの私には判りません。しかし凡夫の我が心の中を正直に申し上げるなら、まさに罪悪・乱想・愚鈍以外の何ものでもございません。もちろん私も、比叡山黒谷では永年に亘り、『戒・定・慧』の三学の道も尋ねて勉学修行も致しました。しかしながら学問すればするほど無知なる我が身に気付かされ、修行すればするほど、罪に汚れた、救われようのない愚かな我身を頂くばかりでありました。
私の心の中には無始より以来かかえている貪・瞋・痴の三毒煩悩があり、それに禍いされて真実に至り得ない、罪悪なる我が身を見せつけられるだけでありました。
とうてい皆様方の求めておられる『戒・定・慧』の三学の道で救われるような我が身ではない事を思い知らされるばかりでありました。ここに私の黒谷二十六年間の苦しみ悩みがありました。
しかしながら、それでも助かりたい、救われたいの一心で、その苦しみ悩みのどん底から、もう一度お釈迦様の一切経を立場を変えて調べ直しをさせて頂いたのでございます。
お釈迦様のご説法を対機説法と申しますように、お釈迦様はつねに、相手の機を見て法を説かれたと申しますから、今ここにお釈迦様がお出まし下さったとしたら、凡夫の私にはどのような教えを説いて下さっただろうかという、そんな目でもう一度一切経を判釈、調べ直しをさせて頂きましたところ、なるほど、皆様方のような聖、立派な方々を対象に説かれたお経様がありました。そこには『戒・定・慧』の三学が説かれております。しかしそれがすべてかと調べに調べてみましたら、有難くも尊くも三学の道に堪えない、私の様な凡夫の為に説かれたお経があり、凡夫が間違いなく報土に救い取られてゆく教えがはっきりと説き明かされていたのでございます。
皆様のような聖が進まれる道、これを聖道門とし、そこには『戒・定・慧』が説かれ、自力でこれを行じ、三毒煩悩断ち切り、悟りを得ていく、つまり成仏の道が説かれてありますが、一切経はすべてそこに尽きるかと見えておりましたが、何と『浄土三部経』の教えの中には、『戒・定・慧』の道の進めない凡夫の為に、阿弥陀如来の本願他力にすがれば、『罪悪・乱想・愚鈍』の凡夫が、阿弥陀様の報土に、たやすく往生できる道が明かされてあったのでございます。
法蔵菩薩が、四十八の誓願をかかげ仏にならんと、兆戴永劫の時間をかけて、菩薩として為さねばならん六度の行を満行され、西方浄土を構え阿弥陀仏となられすでに十劫の時間が過ぎていると明かされてあります。
一々の誓願が成就しなければ仏にはならないとお誓い下された法蔵菩薩が、すでに阿弥陀仏とおなり下さったということは、四十八願すべてが成就したということであります。『罪悪・乱想・愚鈍』の我が身は、この本願に縋るより他に助かる道はないと、確信致し、ここに浄土宗を開かせて頂いたのであります。これまでの皆様方のお宗旨の教えで、凡夫のこの私が、間違いなく救われてゆくというなら、新しいお宗旨を立てる必要は無かったのでありますが、皆様方の教えが誤っているのではけっしてございませんが、行を修する我が『機』に想いを致すならばそれは『絵に画いた餅』私のお腹を充たすものではありませんでした。そのような立派な道の進めない凡夫でも、間違いなく報土に生まれていく道のあることを、世に示さんが為、ここに浄土宗を開かせて頂いたのであります」。
「我浄土宗を立つる心は、凡夫の報土にむまるることを示さんがためなり」
この事を法然上人は、諸宗諸学匠に対し、言葉を尽し、理を究めて一日一夜をかけて説き明かされたのでありました。その場の聴衆は「なるほど」とうなずかれ、顕真様を先頭に、大原の里に三日三晩の念仏行道が続いたと伝えられ、これが世にいう「大原問答」であります。
その浄土宗の起行の中心が、阿弥陀如来の本願他力の働いて下さる「南無阿弥陀仏」と口に称える口称の一行であります。
これは法蔵菩薩が、五劫の間思惟を凝らされ、兆戴永劫の時間をかけ、六度満行された功徳のすべてが収め込まれたもの、つまり法蔵菩薩が何故六度満行の為、兆戴永劫の時間が必要であったか? 法蔵菩薩おひとりの成仏の為ならばその時間は必要ではなかった。しかし法蔵菩薩は、「すべて一切の衆生を救いたい」という尊い願いを持っておられたから、自分の力では満行できないすべての一切の衆生の分までも六度満行なされ、その功徳の一切を、我が名を呼べと「南無阿弥陀仏」の六字の名号に摂めこまれたのであります。その為の兆戴永劫のご修行に他ならなかったのであります。
「万善の妙体は名号の六字に即し、恒沙の功徳は口称の一行にそなふ」
また、
「四智三身十力四無畏等の内証の功徳、相好光明説法利生等の外用の功徳は、名号に摂在せり」(『選択集』)のお心を「浄土三部経」の中にお見たて下さったのであります。
したがいまして、自力で彼岸へ渡ることのできない、六度満行もままならぬ凡夫の我が身ではあるが、弥陀の本願他力に縋り「南無阿弥陀仏」の名号を称えることにより、たやすく報土に生まれていくことのできる道があきらかになったのであります。
そしてそれは、いつでも、誰でも、どこでも行ずることのできる易行であります。またそこには阿弥陀如来の本願力が働いて下さると云うことからも、他の行に対して殊勝なる行、勝行でありますこの口称の一行を、浄土宗の起行の中心とされたのであります。
(「名体不離」・「応声即現」の徳を加える)
往生浄土の行業には、口称の一行で、すでに十分でありますが、易行なるその「南無阿弥陀仏」でさえも申しにくい私でありますから、その私を助け、お念仏を申し易くするうえから四つの助けの行、お念仏の正定業に対して、助業が説かれ、浄土宗の起行はこれを合わせて五種正行と申します。
正行の正は、「正・邪」という意味ではなく、西方一土、阿弥陀仏一仏に帰依する行、純粋に阿弥陀仏に向かう行、親しい行という意味で、それに対し雑行とは、阿弥陀仏に疎雑なる行ということであります。
五種正行の第一は、「読誦正行」。
「読誦正行」とは、阿弥陀様の極楽浄土を説かれた浄土の三部経を読誦すること。と申しましても、受者の皆様には、取りあえず日常の勤行をお勧めする。一日一度はお家のお仏壇の前で「おつとめ」をして下さい。「おつとめ」の中には、「十念」「念仏一会」など必ず出て来ますから、自然と「お念仏」が申せて参ります。
次に「観察正行」。
「観察正行」とは、阿弥陀さまのこと、極楽浄土のことを慕わしく想い思うて頂くことであります。つとめてこのご本堂へお座り下さいということであります。ここのお内陣は極楽浄土を現していて下さる。ここへ坐ると自然とお浄土が想われてくる。家にあってはお仏壇に近づいて下さい。そうすると自然に仏の事が想われて、また自然に「お念仏」が申せるようになってくる。
次に「礼拝正行」。
礼拝は「お念仏」の呼び水とも云われ、なかなか「お念仏」の申しにくいお方でも、このお礼拝をして頂くと「お念仏」が申されてくる。このお礼拝に上中下と三つの礼拝があります。坐ったままで行う礼拝を下品の礼拝、中腰になって行う礼拝を中品、そして、立って坐って、五体を地に投げうってする礼拝を上品、これを五体投地接足作礼と申します。最高のお敬いの姿であり、接足とは仏さまの、両のおみ足を両手に頂く、つまりみ仏様のすべての御徳を、我が全身全霊に頂戴致しますという礼拝であります。
次が「口称正行」。
これが行の中心、正定業であります。阿弥陀様の本願他力の働いて下さる本願行であります。正行を二つに分けて四つの助業と、この正定業とを分けて助正分別と説かれるのであります。
最后に「讃歎供養正行」。
「讃歎供養正行」とは、これは本来、讃歎正行と供養正行に分かれるものでしょうが、ここでは讃歎供養正行と申します。讃歎とは讃め歎えること、仏の徳、教えの徳を、口をきわめて讃めたたえる。漢文で讃えると漢讃、礼拝を伴って讃えると礼讃、和文で讃えると和讃、和歌で讃えるから御詠歌、詠讃歌であります。仏の徳を讃えることによって、み仏と、私達凡夫の間が近しくなってくる。この度の五重でも、贈五重、常回向等、回向師様がお読み上げ下さいますが、あの言葉はすべて仏の徳、教えの徳を讃えていて下さる。節に乗せて唱える声を聞いていると何とも云えない有難い想いになってくる。また親しい方のお戒名が読まれた時など如何でしょう。ずい分以前にお別れしたお方であるのに、今ここに会わせて頂く想いがして、尊くお念仏礼拝ができるのであります。口をきわめて讃めたたえ、心をこめてご供養につとめましょう。仏様へのお給仕であります。供養は、するものではありません。させていただくものであります。何故ならば、その「おさがり」は私達が頂いているからであります。心をこめてご供養すれば、供えた方の心が養われていく、これが本当の供養でありましょう。お灯りを供養することによって私達の無明の心に灯がともり相手の立場が察せられてくる。お花の功徳によってお互いを悦ばせ合う心が生まれ、お線香の功徳で折れ合う心が頂けて、
「察し合い、悦ばせ合い折れ合うて
合わぬ性分、合わす合掌」
の和合の家庭生活が実現されてくるのであります。
以上、五種正行を説きましたが、あくまでも中心は第四、口称正行(正定業)であります。このことを、
「正行を五種と説けども他は皆
第四のみ名を助けんがため」
とお歌にまとめられております。
次に、その「南無阿弥陀仏」のお念仏を申します心構え、心の納め方を「安心」(あんじん)と申します。この場合の安は、安心、心安らかという意味でなく、「安置」の義で、心乱れる凡夫の心の納め方を示されたものであります。(しっかりとした安心の根があってはじめて美しく起行の花が咲くのであります。)
安心には、総安心と別安心の二つがあり、総安心とは、厭離穢土・欣求浄土の願往生心であり、別安心は、念仏を申すに当っての心の納め方を申すのであります。
総安心の、穢土を厭い浄土を求める心を細かく申せば、別安心の三心となるのであります。つまり至誠心、深心、回向発願心で、この三心を具足して念仏申せとのお勧めであります。
勿論、三つバラバラの心で念仏申せと言うのではなく、「一心専念弥陀名号……」と説かれるように、心存助給、「仏我を助け給え」の一心で申せばよろしいのであります。その一心に、三つの要素(至誠心・深心・回向発願心)があると頂くべきでありましょう。
まず至誠心とは「虚仮心を治す」と言われ、善導大師は、「至とは真なり、誠とは実なり」とのご解釈でありますから、真実心であります。「外には賢善精進の相をあらわし、内に虚仮を懐くことを得ざれ」、とありますように、外面だけを飾って、内面が虚しい心では仏に通じる心ではありませんと説かれております。
「往生はよにやすけれど皆人の
まことの心なくてこそせね」
法然上人もお歌の中に、偽り飾り、虚仮の心を戒めておられます。
しかしながら私達凡夫の日暮らしは、人目を飾ることばかり、常に自己弁護に終始しております。所謂、本音とたてまえであります。偽り飾りは、仮りのもの、空しいもの、虚仮のものですから必ず崩れてゆくものであります。人間同士でもその通り。まして三世お見通しの仏様のみ名を呼ばせて頂くのですから、偽り飾らぬ心でお念仏申しましょうということであります。
「多勢の中にても念仏は申され候う、ただ一人いる時にても念仏は申され候う、ただ一人いる時に念仏の申されん方はよろこぶべし」との尊きお示しがあります。
誰れも見てない、誰れも聞いていない、そんな一人ぼっちの時に「ナムアミダ仏・ナムアミダ仏」とお念仏が出てきたら、それこそ偽り飾りなきお念仏、その時はどうぞ喜びなさいと教えられております。
二つには「深心」であります。
善導大師は、「深心というは即ちこれ深く信ずるの心なり」と教えられ、「疑心を治す」とのお示しであります。
信心というものは、外面から判断して、有るとか無いとか判断のできるものではありません。さも信心深く振舞っておられても、中味が空っぽということもありましょうし、また信心ありそうに見えないけれど、中に深い信心を収めておられる方もありましょう。
深くても信心、浅くても信心、信心が無いとは言えないでしょうが、浅い信心であったなら目の前の、日常生活の中のわずかな悩み苦しみでも「グラグラ〜ッ」と崩れかねない。そんな信心ではあてにならない。たとえば海の上でもそうですね。
おだやかなお日和の日であっても、表面には波があります。少し風が出て、小さな舟は気を付けて下さいと云う時は、波浪注意報・警報が出ます。また台風何号と云った、家でもさらうかという波は、怒濤のごとく押し寄せると申します。波の大きさで字も変る。しかし海の表面にどれほど大きな波が立ち騒ごうとも、海の奥深い所では微動だにしていない。これは私達の心の中も同じこと、日常生活の上では、泣いた笑った、損した得したと変化はあるが、心の奥深い処には、そんなものには影響されないものがある。
「我が心深き底あり よろこびも
うれいの波も とどかじとぞ思う」(西田幾太郎)
と示されております。目の前の苦しみ悩みに動ずることのない心の奥深い処まで信心の杭を差し込んでおきましょうというのが、深く信ずるの心、深心であります。
何を深く信ずるかというと、信ずるものに二つある。これを信機・信法と説かれ、まずは我身のほどを深く信ず。そして自分のほんとうの姿に気づかされると、この道以外に助かる道はない。そんなお前でもよい、必ず救うぞとおっしゃるその「法」がいただけてくる。「機」を見つめることが深ければ深いほど、その「法」をしっかりと頂けてくる。ここのところを善導大師は
「一つには決定して深く信ず。自身は現に罪悪生死の凡夫にして、広劫よりこのかた常に没し、常に流転して出離の縁あることなしと。二つには決定して深く信ず。かの阿弥陀仏は四十八願をもて衆生を摂受したまうこと疑いなく、うらおもいなく、彼の願力に乗じて定めて往生を得と」
とお示し下さって、迷いに迷いを重ね、罪には罪を重ねたあさましい我が姿、広劫といわれる昔より、法を求め、真実の道に趣こうとする、そんな尊いご縁の一度もなかった我が身であったと、血の涙を流して懺悔されたと申します。
また法然上人も、比叡山第一の学者と言われながらも、我は「十悪愚痴の法然」と、我が身のほどを深くながめられたのであります。
罪には、法律上の罪、道徳上の罪、宗教上の罪と三種ありますが、法律上の罪がないから善人とは言えません。まして宗教上の罪、み仏に見られた私となれば、罪なしと言えるお方は一人もありません。
私達は法律を犯していないから善人のつもりで生活しております。しかし善導大師、法然上人というお方々は皆な、み仏をお相手として、宗教上の罪という段階で我が身をながめ深く反省なされたのであります。
それを私達は、それだけの修行も、学問もないのに、法律上の罪、そんな高い所で自分をながめ、我れ罪なしとしております。それでは縋る心、真剣に法を求める心が起きては参りません。
ある山村の五重相伝に参った時のお話ですが、二日目の朝、受者の方が大きな声でワイワイとお話をしながらお寺へいらっしゃる。聞くとはなしに聞いておりますと、
「夕べはえらいことでしたナァー」
「アンタ、外、見はりましたか」
「いゃあ、もうあんな音聞いたら、恐ろして、よう外、見ませんでしたわ」
「朝起きて見たら、柿の木がバタバタ到されてるし、あの足跡、あれはどう見たって熊の仕業ですナァー」
びっくりしましたね。逃げて帰りたいくらいでした。とうとう四日目の朝、薪割をしていたおじいさんが、この熊と鉢合せ、頭からひっかかれて救急車で運ばれたということでした。何とか五重が終わって、自坊で新聞広げておりましたら、その熊が射殺されたという記事が出ておりました。ところがその熊、捕えてみたら体重がわずか四十キロ。おとなの熊ですよ。食べるものも食べてないんですよ。
新聞によりますと、昔はそこら一帯が、熊の食べるドングリがたくさんあったそうです。雑木林が一杯あった。ところがこれをどんどん切り開いて、人間に都合のいいヒノキや杉の木を植えていきました。だから熊たちは山の奥へ奥へと追いたてられて、食べるものが無くなり、おなかをすかせてフラフラと人家へ迷い出し、あげくの果てが射殺であります。
お釈迦様は、この世の中に、人間だけが特別なところから出てきたんじゃない、すべて一切のものは、野山の生きものも、草木に至るまで、同じ命から出発している「万物同根」とお説きになっている。だから無益な殺生するなかれ、不殺生ということをお説きになりました。
今日の便利な生活を体験してみますと、昔の不便な時代に戻りたいとは思わないけれど、この繁栄の裏側には、物言わぬ生き物に大きなしわよせをして、ずい分苦しめているという現実があります。あるいは地球環境を汚し、壊していることを考えてみると、直接手を下さずとも、生活しているだけでも多くの罪を重ねている我が身に気づかされるのであります。
そして今日は元気に過ごさせて頂いている我が身も、やがて歳を重ね、病を受けてゆかねばなりません。今は、地位も、名誉も、財産も、家族も友人も、私を支えて下さる大きな力でありますが、いつの日にか、その一切を手放していかなければなりません。その時には、何ひとつ支えとなる確かなものを持ち合わせていない我が身であると思い知らされて、はじめて大いなるものに縋りたい、いやすがらずにはおれない思いが起きてくるのであります。
その時にはじめて、「そんなお前でもよい」「捨てはせぬ 我が名を呼べ」とおっしゃる阿弥陀さまのご本願が、我がものとして真剣に頂けてくるのであります。その縋る心を信心と申します。
その本願のどこを深く信ずるのかと申しますと、そのひとつは「摂取不捨」ということであります。
救われるようのない私でも、仏の本願をたのみ念仏申せば、み仏は抱きかかえてけっして捨てはなさらないということであります。『観無量寿経』のこの教えを法然上人は、
「月かげの いたらぬ里はなけれども
ながむる人の 心にぞすむ」
とお歌いになりました。
「光明p照十方世界」如来の光明は、分けへだてのあるものではない。山の上でも、海の上でもpく照らして下さる。それは、ちょうどお月様の光のようなもの、しかし天上に明か明かと月の光が輝いていても、家の中にいたのではこれに気づかない。たとえ外にいて月の光を浴びていながらも、ほかの事を考えたり、他の事に気を取られていては、光に気づかないこともあります。「なんとすばらしい光だなァー。神々しい光だなァー」と、心に感動をおぼえ、喜ぶことのできる人は、このお月様をふり仰いだお方であります。だから「眺むる人の」とおっしゃった。つまり念仏の衆生であります。
念仏の衆生となってはじめて、阿弥陀如来の神通光にふれることができるのであります。
「心にぞすむ」、 この終りの二文字には、声に応えてみ仏が「住む」つまり添いまして下さる。共暮らしをして下さる。
仏と生きる日暮らしの中から、「貪瞋痴」三毒煩悩の汚れを「澄まして」下さる。
そして、我々人間にとっての最大難関、それは「死」の一字でありましょう。
「念仏すれば、臨終に仏来迎すということを一念も疑わぬ方を深心とは申すなり」と、法然上人がお示しであります。
この世は、仏との共暮らし、臨終には枕辺に仏が来迎、来り迎えて下さる。これほどに頼もしい事はないのであります。ここに、この世も大丈夫、後の世も心配ないという二世の安楽、この世、後の世の大問題が、しっかりと解決済みとなってくるのであります。
今年の正月二十六日、先代住職が亡くなって参りました。歳は九十一歳、わずか三日の入院でした。遣る者に取っては、ほんとうに「まさか」の最後でした。九十一歳で「まさか」は無かろうと言われるでしょうが、入院の前日までは元気に普通の生活を送っておりました。まだピアノを弾くほどの余裕さえあったのでありますが、翌日、風邪気味だからと病院に出掛け、お医者様は「入院するほどでもない、帰られて結構」とおっしゃったのですが、本人が、寒い時でもあり大事を取って、入院という事になりました。
二日目の昼前、「今日は午后からヒゲが剃りたい、電気ガミソリを持って来て欲しい」との事、「じゃ昼から持って来るね」と付添の者が、食事を兼ねて寺へ戻ったわずか一時間ほどの間に、病院から、急変との連絡。「何があったか」と思いましたよ。駆けつけてみると、すでに意識はなく、人工呼吸器がセットされ、傍のモニターテレビに心臓の鼓動が刻まれ、血圧・脈拍等の数値が映し出されておりました。なす術もなく見守ったのでございましたが、翌日お昼過ぎ、担当医師より、「時間の問題です、今日一日でしょう」と告げられ、医師はベットの側にジッと立っている。
「いよいよか」と見て取ったので、集まった家族に「これから、おじいちゃんをお念仏で送らせてもらおう」と声をかけ、皆もうなずきましたので、老僧の手を握って、病室の事です、大きな声も出せませんから、その耳もとで静かにゆっくりと「ナムアミダブツ・ナムアミダブツ・ナムアミダブツ……」と十返唱えて、そおーと頭を挙げてみました時に、さっきまではっきりと刻んでいたモニターの心臓の鼓動がスゥーッと一直線になっていたんです。傍の医師は、時計をかまえて「十二時十四分でした」「ありがとうございました。」
正直、驚きました。と同時に「お迎え頂かれたなー」と実感致しました。
老僧は、十年前に「甲状腺ガン」の手術のために声をなくしました。僧侶として声をなくすという事は、どんなに辛い事だったでしょうね。しかし、そんな状態でも、寺に居る日は一日も欠かさず、御本尊様の前で、出ない声で木魚を叩きました。勿論、自ら申されたお念仏で往生された事はまちがいありませんが、遺る私共に、「お念仏で間違いないぞ」とお念仏の尊さを最后に教えてくれたと頂戴致しました。私共に大きな遺産を遺してくれたと喜ばせて頂きました。
「念仏すれば、臨終に仏来迎すということを一念も疑わぬ方を深心とは申すなり」
まさにそのお言葉の通りと実感致しております。
最后に、「回向発願心」とは、「不回向心を治す」と教えられ、無始より以来の善根功徳を、我が身往生の為にと回し向け、必ずや往生するぞという願いを起こしてお念仏申すのであります。
回向という言葉は良くご存じでありますが、大体は、亡き人の為に善根を積み、回し向けるという回向ですが、ここには、私達の心の方向転換、回心転向の意がございます。亡き人の為に、「どうぞ良い処にお生まれ下さい。どうぞみたま安らかなれ」と願い回向しておりますと、私の心まで良い所の功徳が頂け、辛い悲しい暗い心が、喜びの心、安らかな心が頂けてきて明るい方向へ心が向かわされていくのであります。お念仏の中に心の方向転換ができてくるのであります。
いかなるご縁の導きか、この五重に着かせて頂いて、はじめてこんな大きな声でお念仏を申させて頂いた。またこんな尊いおもいでお念仏申させて頂いた。このよろこびを、ひとりじめにすることなく、お家の皆さんに、職場の皆さんに、隣近所の皆さんに分けへだてなく、施させていただきましょう。「願以此功徳、平等施一切……」とは、まさしくこの事でございましょう。
お念仏申して、私一人が幸福になるのではない、皆なで手に手を取って、世の為人の為と回し向け、皆なで幸福の国をめざさせて頂きましょうということであります。
そうして、せめても積ませて頂いた功徳を、我が身往生のため、大目的達成の為と回し向け、必ずやそのお浄土へ生まれさせて頂くぞという、強い願いを発してお念仏申させて頂くことを、回向発願心とお示しになられました。
「いつわらず また疑わず 彼の国を
願うは 三つの心なりけり」
とお歌に示されております。
至誠心、深心、回向発願心。三心具足してお念仏申すことが、浄土宗の安心起行であります。
次に「作業」、お念仏信者のふるまい、生活態度を示された、四つの修養法ですから、四修と申します。
一つには恭敬修(慇重修)「a慢の心を治す」
信仰の最も大きな障げとなりますのが、おごり・高ぶり、a慢の心であります。これを対治するために、心で敬い、体で敬い、敬いうやまった日暮しをさせて頂きましょう。家庭の中でも、職場でも、学校でも、今もっとも欠けているところではないでしょうか。家庭崩壊、学級崩壊もここから始まっていることに気づき、大いに反省しなければなりません。
この恭敬修について慈恩大師は『西方要訣』に、「有縁の聖人、有縁の像経、有縁の知識、有縁の同伴、住持の三宝を敬う」とのお示しであります。
まず有縁の聖人とは、阿弥陀如来や観音・勢至菩薩を敬うということ、有縁の像経とは、阿弥陀仏像や観音さま勢至さまのお像を敬い、浄土の三部経等、浄土の諸経を心から敬いましょう。有縁の知識とは、浄土の教えを説いて導いて下さるお方々を敬うということ。有縁の同伴とは、同じ信仰をもつ仲間、同信同行であります。信心を深め合う仲間として大事に敬い合っていきましょう。そして最后になってますが、私共浅識のもの、入門したての初心浅行の者に、最も強い導きをして下さるのが住持の三宝であります。目に見えない方々はなかなか頂きにくいので、まずは目に見える姿となって、止住していて下さる三宝さまから深く敬っていきましょうということであります。お仏像様、お経さま、お寺様を心から敬わせて頂きましょう。敬い敬まった生活を致しましょうということ、これを恭敬修と申します。
次に無余修、私達凡夫は、とかくあれもこれもと雑起の心が強いから、「十方に浄土多けれど西方一土。諸仏多けれど弥陀一仏。諸行多けれど念仏一行」としぼり、その余のものは差しはさまずに進むこと。「信心は、心ひとつの丸木橋、わき見をすればあやうかりけり」。ですから一本道を進ませて頂くのであります。
次に無間修。間ぎれなくお念仏申しましょうということ。私達は怠りの心の強いものでありますから、懈怠の心を戒め精進致しましょうということであります。その間について、間をあけず、時をあけず、日をあけずと云われますから、一番長い単位は、日であります。だからせめて日だけは、空かぬように勤めましょうということ。しかしこれは心配ないですね。皆様は昨日、お剃度の式で日課称名のお約束をなさって「よく持っ」とお答えになりました。誓ったからには、約束の数だけはしっかりお励み頂きたいと存じます。
四つ目には長時修。命の限り、臨終の夕べまでお念仏申し続けていくということであります。
以上、
「敬いて(恭敬修)只み名ばかり(無余修)おこたらず(無間修)命かぎりに(長時修)勤むるぞ四修」とまとめられております。
二重『末代念仏授手印』のお話を長々と申して参りましたが、最后にもうひとつ、お念仏申します行儀作法についてのお示しがあります。これに三つあるから、三種行儀と申します。
一つには「尋常行儀」とありまして、これは常平生のお念仏の申し方であります。これについては特別な行儀はございません。「様なきをもって様となす。行儀なきをもって行儀となす」と教えられ、つまり、「行往坐臥、時処諸縁を問わず」と申しますから、歩きながらでも結構、止まって結構、坐ってよし、臥してよし、朝よし、昼よし、夜もよし、場所もきらわず、縁もきらわず、姿も心もそのままに、日常の日暮らしの中から、お念仏申し、仏まかせの日暮らしをさせて頂くのであります。またこの尋常のお念仏こそが最も重要となってくるのであります。
次に「別時行儀」。特別な時、特別な場所を設けてお念仏申しますことを別時念仏と申しますが、その時の行儀作法を示されたものであります。
浄土宗のお念仏は、尋常のお念仏で十分でありますが、私達凡夫の心は、眼がなれ、耳がなれてくると、つい疎雑な心になり、ゆるんでくるから、時々は身につけるものも小ざっぱりとして、心あらためてお念仏申しましょうということであります。
日課称名六万返、七万返の法然上人も、
「ときどき別時の念仏を修して、心をも身をもはげまし、ととのえ進むべきなり」
と申されて「別時念仏」をおすすめになっておられます。
別時の念仏は、道場を清浄に整え、身を清め、食事も酒肉五辛を断ち、一日、七日、十日、九十日等、日時を定めて、まさに生身の阿弥陀仏の尊前と頂きお念仏申すのであります。
そのように尋常のお念仏、別時のお念仏を繰り返して参りますと、必ず最期の時がやってまいります。
その臨終の時のお作法を「臨終行儀」と申します。
これは別儀の行儀に準ずるとのお示しでございますから、いよいよの時を迎えたならば、病人の前に本尊を安置し、香華を捧げ、病人の申す念仏を助ける。普段通りには申せませんから、出る息入る息に合わせて申してあげる等々詳しく説かれてありますが、一般の皆様にはなかなかむずかしいことでありましょう。また息のある間は、なかなかお念仏申せませんとおっしゃるならば、五重まで受けて下さった皆様がたに、せめても心得て頂くことは、医師が「御臨終でございます」と云われてからでも結構ですから、しばらくの間は静かにお念仏を申して頂きたいのであります。コトが切れても、しばらくの間は耳の聴く力は残っている。息のある間のお念仏に、変わる所はないのであります。
また、臨終行儀ができないと、往生はできないのかと思われるかも判りませんが、それは心配ございません。また、死の縁は無量です。何時、如何なる処で迎えるか判りません。しかし、どんな亡くなり方であろうとも、常平生に申されたお念仏に、仏はこたえて下さって来迎は疑いないのでございます。それゆえに平生のお念仏、尋常の行儀が重要となって参ります。
さあ『末代念仏授手印』に説かれた、安心・起行・作業について、細々とお話し申し上げて参りましたが、お書物の最后に、これまで述べ来った安心も、起行も、作業も、結局はことごとく口称念仏の一行に結帰するということを、奥図の伝に示されております。
「結帰一行三昧心存助給南無阿弥陀仏」と、図をもって、五種正行も、三心も、四修も、三種行儀も、南無阿弥陀仏に結帰するということ、また南無阿弥陀仏申させんがための、五種正行、三心、四修……であることを明かされているのであります。
さらには、法然上人のお言葉を添えて、
「善導が御釈を拝見するに、源空が目には、三心も五念も四修も皆倶に南無阿弥陀仏と見ゆるなり」
と、その証明となさったのであります。
結局、二重『末代念仏授手印』の六重、二十二件、五十五の法数は、何をお伝え下さったかと申しますならば、それは、「南無阿弥陀仏とお念仏申しなさい」とのお勧めでございますから、「それならお念仏申しましょう」と受け取らせて頂き、二重は、「南無阿弥陀仏と唱うれば」と受け取らせて頂くのであります。
「如何なる愚かな者にても」、「南無阿弥陀仏と唱うれば」、ここまでが、初重、二重のお受け取りであります。
(平成14年度 浄土宗布教羅針盤 勧誠編「行」より)