3、「行相」の構造
 『授手印』本文中、「行相」として語られる「第三重・三心」「第四重・五念門」「第五重・四修」は、『往生礼讃』前序の安心・起行・作業という体系的な実践方軌に基づいている(もちろん、例えば三心が『観経疏』に述べられるなど、各所にそれらが散見されることは言うまでもない)。ただ、「第六重・三種行儀」だけは『観念法門』の所説に基づき、あるいは『往生要集』大文第六「別時念仏」の教説を受け継いで展開されていると察せられる。
 「宗義」の勧誡を受けた上で、私たちに唯一示された往生行であるお念仏を称える際の心のありようやお念仏を称えながらの日々の暮らしについて説き明かすのが「行相」についての勧誡である。
 
    第三重・三心~心のありよう~
 第三重・三心。浄土宗でいう「安心」は、『観無量寿経』の「もし衆生あって、彼の国に生ぜんと願ぜば、三種の心を発すべし。すなわち往生す。何等をか三とす。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具する者は、必ず彼の国に生ず」との所説に基づく、至誠心・深心・回向発願心の三心のことである。
 至誠心とは、「真実の心」「まことの心」であって、外見はともかく、阿弥陀さまのみ心に適うよう誠実につとめ、内面には嘘偽りのない、まことをおこす心である。
 深心とは「深く信じる心」であって、お念仏の教えを非難されたとしても決して疑いをおこさない心である。その深心は「救われ難い自分自身の愚かさ、つたなさをしっかりと見つめる」という信機と「お念仏を称えれば阿弥陀さまの本願のお力に乗じて必ず浄土往生が叶うと信じる」という信法の二面から構成されている。「阿弥陀さまの本願を信じる」という信法は「救われ難い私である」との信機の自覚の上にこそはじめて成り立つものといえよう。だからこそ法然上人は、信機と信法とが重層的に構成されていることを各所で指摘しながらも、「はじめにはわが身の程を信じ、のちには仏の願を信ずるなり。ただしのちの信を決定せんがために、はじめの信心をばあぐる也」と信機から信法への流れを必然視されているのである。
 こうした深心について法然上人は「三心は区(まちまち)に分かれたりと云へども、要を取り詮を撰びて是をいへば、深心ひとつにをさまれり」と、その重要性を位置づけており、その姿勢は『授手印』において聖光上人が深心重視の姿勢を表明された姿勢へと継承されているのである。
 回向発願心とは、自身で修めてきたすべての善行、他の方が修めた善行への随喜をことごとく回向して、浄土への往生を願う心である。もちろん、善行の功徳をすべて浄土往生のために回向するとはいっても、わざわざお念仏以外の功徳を積みなさいという意味ではない。これまで積んできたお念仏以外の善行の功徳やお念仏に帰依した後でも日々の暮らしの中で自ずから積んできた善行の功徳を、すべて浄土往生のために回向すべきであるというのである。
 法然上人はこうした三心を頭で理解しようとする危うさを「その名をだにもしらぬものも、この心をばそなえつべく、またよくよくしりたらむ人の中にも、そのままに具せぬも候ぬべき心にて候なり」と戒めている。そして法然上人は「まめやかに往生せむとおもひて念仏申さむ人は、自然に具足しぬべき心にて候」、「願ふ心いつはらずして、げに往生せんとおもひ候へば、おのづから三心は具足することにて候なり」などと、「往生したい」と願いお念仏を称え続けることによって、自ずと三心が具わっていくとお示しである。このようにお念仏を称え続けている内に自ずと三心が具わることを法然上人は「行具の三心」と名付けており、わが浄土宗にとって肝要な教えといえよう。
 要は「南無阿弥陀仏といふは、別したる事には思うべからず。阿弥陀ほとけ我をたすけ給へといふことばと、心えて、心にはあみだほとけ、たすけ給へとおもひて、口には南無阿弥陀仏と唱るを、三心具足の名号と申す也」といったお示しこそ肝要なのである。

    第四重・五念門~五種正行と共に~
 第四重・五念門。世親菩薩が『往生論』において創設し、曇鸞大師が『往生論註』において継承、善導大師が『往生礼讃』において展開した五念門についての教説を受け、聖光上人は「善導の御意は、浄土宗に入って、正助二行を修して三心を具足せるの人、必ず五念門を修すべしと、これを教えたまう」と述べられ、「起行」として第四重に五念門を据えられた。『授手印』によれば、五念門の内容は以下の通りである。
 礼拝門とは、阿弥陀さまを礼拝すること。
 讃歎門とは、阿弥陀さまを讃歎すること。
 観察門とは、阿弥陀さまやお浄土およびその聖衆を慕い、心に想い描くこと。
 作願門とは、いつでもどこにおいてでも浄土往生を目指すこと。 
 回向門とは、修めた善根の功徳を浄土往生へと回向すること。

 ところで、宗祖法然上人が、その著作・法語においてこうした五念門を取り上げることはほとんどない。そうしたことから、古来、第一重・五種正行との関係について、第三重・三心を取り込んだ上での会通が試みられ、相伝の義が施されている。それらを踏まえつつ、藤堂恭俊台下は、詳細な検討の結果、次のようにまとめられている。すなわち「第一礼拝門は第三礼拝正行に、第二讃歎門は第五讃歎供養正行中の讃歎正行に、また讃歎門中の「称彼如来名」は第四口称正行に、第三観察門は観察正行に、なんの支障もなく合致せしめ得るのである。さらに残された作願・回向の両門は内容的に言うならば願生と回向と言う意業である。このなか願生と言う往生の心について弁長は第三重に示す至誠心と深心とは願生者の具すべき心を示したものであるから、第四作願門は至誠心と深心をふまえ、また回向は弁長が回向発願心のところで言う「已所作の善(正助二行)をもって往生を願うなり。これをもって廻向となす」に相当するから、第五回向門は回向発願心をふまえていることが知られるであろう。かく考えるならば「正助二行を修して三心を具足せるの人、必ず五念門を修すべしと、これを教へ」られても、なんの支障も拘泥もなく指示どおり行ずることができる」というものである。
 このように聖光上人が第四重に据えられた五念門は、五種正行と三心の枠を一歩たりとも出るものではなく、その実践や具足の中に自ずから修められ、内包されているのである。そして、まさに五種正行がそうであったように五念門の行体そのものが本来的に具えている性格から、それを修めている願往生人の実践は自ずと念仏一行へと収斂し、帰納されるようにと仕向けられるのである。『授手印』における讃歎門重視の姿勢も、それがお念仏へと直結する行であると聖光上人が捉えられたからに他ならないのである。
 
    第五重・四修~お念仏の生活~
 第五重・四修。『往生礼讃』前序の説示を受けた聖光上人は、お念仏を称えつつの日暮らしの四つの心得である四修を「作業」とされた。
 第一に恭敬修。恭敬修とは、阿弥陀さまや観音菩薩・勢至菩薩をはじめとするお浄土に集う聖者、あるいはお経やお仏像に対して常に敬いの心を向けることである。
 第二に無余修。無余修とは、お念仏以外の行を修めないということで、「阿弥陀さまのお浄土に往生するためには、お念仏だけでは不安だから」などといらぬ詮索をし、あえて善行を積もうとすることを戒められているのである。もちろん、回向発願心の項で述べたように、お念仏を称える日暮らしの中で、自ずから積まれる善行まで否定するわけではない。
 第三に無間修。無間修とは、常にお念仏を相続して間をおかないということである。法然上人は「一食のあひだに、三度ばかりおもひいでんはよき相続にて候」と日々の念仏相続の程合いについてやさしく説き示されている。ただし、その心構えについては「闕けて候はん御所作を、つぎの日申しいれられ候はん事、さも候なん。それもあす申しいれ候はんずればとて、御ゆだん候はんはあしく候」と厳しく戒められている。もちろん、「凡夫の習ひ、二万三万、数遍を配すと雖も、如法の義有るべからず。唯数遍の多きにはしかず。所詮心をして相続せしめんが為なり。ただし、必ず数を定めて要と為すにはあらず。只常念の為なり。数遍を定めざるは懈怠の因縁なれば数遍を勧むるなり」と述べられているように、お念仏の「数」が目的なのではなく、「相続」や「常念」こそが大切なことを肝に銘じておかねばならない。『授手印』において聖光上人は「四修の中には、四修ともに口称の意なりといえども、その中において口称はこれ無間修の意なり」と無間修重視の姿勢を表明されているが、それも法然上人が「此の四修の中に、唯、無間修を取りて其の要と為す、余の三は要に非ず。無間修とは、即ち常念仏の義なり」と述べられたご法語の主旨と軌を一にするものであろう。
 第四に長時修。長時修とは、お念仏の教えに帰依してからわが命の尽きるその時まで、お念仏を称え続けることである。法然上人は「一念までも定めて往生すと思ひて、退転なくいのち終はらんまで申すべき也」と、わが命尽きる時まで終生お念仏を称え続けることこそ大切であると説き示されている。
 こうした四修は、お互いに関連し支えあいつつ、それを願往生人が心がけることによって、阿弥陀さまやお浄土へ向けた思いを絶やさずにお念仏を相続するという一点へと願往生人を促すこととなる。もちろん、それによって浄土往生が必ず叶うことが約束されるのである。法然上人が「阿弥陀仏は、一念となふるに一度の往生にあてがひておこし給へる本願也。かるがゆへに十念は十度むまるる功徳也。一向専修の念仏者になる日よりして、臨終の時にいたるまで申したる一期の念仏をとりあつめて、一度の往生はかならずする事也」と述べられているように「たった一度の〈この私〉の死の瞬間まで浄土往生を願いお念仏を称え続ける」ということこそ四修の肝要である。
 
    第六重・三種行儀~日々のお念仏~
 第六重・三種行儀。『観念法門』や『往生要集』の所説に基づきつつ聖光上人は「行儀」として第六重に三種行儀を据えられた。『授手印』によれば、三種行儀の内容は以下の通りである。
 尋常行儀とは、行住坐臥、時処諸縁、時節の長短を論ぜずに日々お念仏を実践すること。
 別時行儀とは、所は清浄な道場、身は沐浴清浄、衣は清浄、威儀は常立常坐、時節は一日乃至九十日などと設定してお念仏を称えること。
 臨終行儀とは、臨終にあたり別時行儀に準じてお念仏を称えること。
 宗祖法然上人が、こうした三種行儀について並列して論じられることはなかったものの、種々のご法語を通じてそのありようや相互の関係について知ることができる。
 たとえば法然上人は「問ふて曰く、臨終の一念は百年の業にすぐれたりと申すは、平生の念仏の中に、臨終の一念ほどの念仏をば申しいたし候まじく候やらん。答ふ、三心具足の念仏はおなじ事なり。そのゆえは、観経にいはく、三心を具する者は必ず彼の国に生ずといへり。必の文字あるゆへに臨終の一念とおなじ事也」と臨終行儀に偏重した当時の風潮を戒めつつ、あるいは「問ふていはく。最後の念仏と平生の念仏と、いづれかすぐれたるや。答へていはく。ただおなじ事也。そのゆへは、平生の念仏、臨終の念仏とて、なんのかはりめかあらん。平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、臨終の念仏の、のぶれば平生の念仏となるなり」と述べられ、尋常行儀と臨終行儀の両者に質的な相違のないことを指摘している。法然上人がこうした説示をなし得たのも阿弥陀さまの選択本願念仏の真意を正しく汲み取られたからに他ならない。
 そして、そういった確信を得られた法然上人だからこそ、臨終にあたり「正念になるからこそ来迎がある」といった従来の通念を覆し、日々の生活におけるお念仏の相続の結果として「ただの時よくよく申しおきたる念仏によりて、かならず仏は来迎し給ふなり。仏の来たりて現じ給へるを見て、正念には住すと申すべき也」と「来迎があるからこそ正念になる」といった道理をはじめて説き示すことが可能だったのである。
 さらに法然上人は「ときどき別時の念仏を修して、心をも身をもはげましととのへすすむべき也。日々に六万遍を申せば、七万遍をとなふればとて、ただあるもいはれたる事にてはあれども、人の心さまは、いたく目もなれ耳もなれぬれば、いそいそとすすむ心もなく、あけくれは心いそがしき様にてのみ、疎略になりゆく也。その心をためなおさん料に、時々別時の念仏はすべき也」と尋常行儀を策励せんがための別時行儀の大切さを訴えている。法然上人の伝記やご法語を通じ、上人が幾たびも別時念仏を修められていることは周知の事実であるが、その意図はどこまでも日々のお念仏の策励にこそあったと言えるだろう。
 『授手印』において新たに創設された三種行儀の行相であるが「三種の行儀の中に何れの行儀にも通ずと雖も、只、是れ尋常行儀の意なり」と、別時行儀や臨終行儀を視野に入れつつも、尋常行儀を中心に据えた聖光上人の姿勢は、法然上人が「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし」と述べられた日々の念仏生活の基本姿勢と何ら異なることはないのである。
 
 このように「第三重」から「第六重」へと繰り広げられている「行相」の構造は、正定業たるお念仏ただ一行に収斂し帰納される「第一重・第二重」の「宗義」の構造を踏まえつつ、決定往生業であるお念仏を称える際の心のありようや日々の暮らしについての実践方軌を演繹的に明示していると捉えられよう。もちろん、演繹的に明示するとはいっても、これまで述べてきたように浄土往生のための必要条件としてその一々を願往生人に要求するといった性質のものではなく、お念仏の実践を通じて自ずから願往生人に具えられるといった性格を有する「相」に他ならない。そのことは次に述べる「奥図の意義」において、より一層明らかになるであろう。

(平成14年度 浄土宗布教羅針盤 勧誠編「行」より)