(2)師資相承の再編成
法然上人は『逆修説法』五七日において「今此の五祖とは、先づ曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等也(『昭法全』二六四頁)」と浄土五祖を明らかにされた。また『選択集』第一章にも、次のような浄土宗の相承を明らかにされている。
浄土宗にも亦血脈有り。〜中略〜 今且く道綽善導の一家に依りて師資相承の血脈を論ぜば此に亦両説有り。一には菩提流支三蔵・慧寵法師・道場法師・曇鸞法師・大海禅師・法上法師なり[以上安楽集に出づ]二には菩提流支三蔵・曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感法師・小康法師なり[已上唐宋両伝に出づ](『昭法全』三一三頁)
もちろん法然上人は『選択集』第十六章において「偏に善導一師に依るなり(『昭法全』三四八頁)」と述べ、その教義体系を善導一師に委ねていることは言うまでもない。それは法然上人が「諸宗の談ずる所、異なりと雖も、惣じて凡夫の浄土に生ずると云ふ事を許さず。故に善導の釈義に依りて、浄土宗を興す時、即ち凡夫の報土に生ずと云う事顕らか也。(『一期物語』『昭法全』四四〇頁)」と述べているように、善導大師の教えに依らなければ凡夫が浄土往生を遂げることは不可能であるからに他ならない。
ところが、こうした法然上人の聖意を汲み得ず、一師相伝を頑なに主張する禅僧からの批判が相次ぐこととなる。それに対し上人は、法然上人の相承を踏まえつつ、貞治二(一三六三)年、二十三歳の時に撰した『浄土真宗付法伝』一巻の序に「然る間三国伝来の宗祖を図し、浄土流伝の旨を顕す(『続浄全』十七・二九五・a)」と述べ、新たな浄土宗の師資相承を提唱した。
すなわちインド・中国・日本三国伝来の列祖として「本師釈迦牟尼如来大和尚」をはじめ、「先づ天竺に於いて四大祖有り」と「第一祖馬鳴菩薩〜第二祖龍樹菩薩〜第三祖天親菩薩〜第四祖菩提流支」の相承を、「次に震旦に於いて八大祖有り」と「第一祖廬山慧遠大師〜第二祖玄忠寺曇鸞大師〜第三祖大唐慈愍三蔵〜第四祖西河道綽禅師〜第五祖光明寺善導大師〜第六祖千福寺懐感禅師〜第七祖大唐法照禅師〜第八祖烏龍山少康法師」の相承を、最後に「後に本朝に於いて五大祖有り」と「第一祖行基菩薩〜第二祖空也上人〜第三祖源信僧都〜第四祖永観律師〜第五祖法然上人」(以上、『続浄全』十七・二九五・b〜三〇三・a)の相承を掲げ、総計十七祖にわたる浄土宗の相承を再編した。
さらに上人は、この十七祖に二種の相承を細釈する。すなわち、『大乗起信論』『十二礼』『往生論』『往生論註』『安楽集』『観経疏』『選択集』の典籍が撰せられ、あるいは、相承されることによって浄土開宗に至ったことから馬鳴・龍樹・天親・菩提流支・曇鸞・道綽・善導・法然の八祖を選び、「已上八祖相承次第す。此れ即ち名づけて経巻相承と為す」とし、続けて、その八祖の内、浄土宗の教義を中心に天親・菩提流支・曇鸞・道緯・善導・法然の六祖を選定し「已上六祖相承す。此れ即ち名づけて知識相承と為す」(以上、『続浄全』十七・三〇四・b)と経巻相承と知識相承を明らかにされた。こうした浄土宗の師資相承の伝統を提示することにより上人は、禅僧からの批判に対抗せんとされたのである。
また、口決相承を重んずる禅僧からの批判に対抗すべく、加えて、偏依善導一師という法然上人の姿勢を吟味され、導空二祖の夢中対面を取り上げて「夫れ(善導)大師は是れ弥陀の化身なり。(法然)上人は是れ勢至の垂迹なり。豈に本地の益に迷ひて、猶し未だ俗謬を致さん。若し爾らば設ひ口決無くとも之を疑ふ可きには非ず、況や夢中の口決をや。いよいよ仰信す可きなり。(『続浄全』十七・三〇六・a)」と結論づけられたのである。
このように上人による師資相承の再編成は『選択集』第一章に説かれる相承の新展開であるばかりか、『同』第十六章の偏依善導一師観をも踏まえたものであり、法然上人の確立された称名念仏の教えにおける師資相承の普遍性と共に、「偏依」という宗教的超越性をも並置させることに成功したのである。
(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)