2、聖冏上人による五重相伝確立の意義〜随自顕宗の憲章〜
明徳四(一三九三)年、上人五十三歳の時、後に浄土宗第八祖、大本山増上寺開山となる聖聰上人に五重相伝を授けた。これが浄土宗五重相伝の始めである。【図一】のように上人は法然・聖光・良忠と連なる浄土宗三代の著作を中心に機・法(行)・解・証・信の大綱にそった五重の相伝書を選定し、それぞれに自ら四種の注釈書を撰し、上人に至る鎮西白旗派の正統を書伝する内容を確定した。
【図一】聖冏上人による五重相伝の綱格
名称 五重伝書 伝書の註釈書(聖冏撰) 大綱
初重 法然上人『往生記』一巻 『往生記投機鈔』一巻 機
二重 聖光上人『末代念仏授手印』一巻 『授手印伝心鈔』一巻 法
三重 良忠上人『領解末代念仏授手印鈔』一巻 『領解授手印徹心鈔』一巻 解
四重 良忠上人『決答授手印疑問鈔』二巻 『決答疑問銘心鈔』二巻 証
五重 『往生論註』「凝思十念の伝」 信
*ゴチック文字で示した三部三巻と斜体文字で示した五部七巻を総じて「三巻七書」という。
応永十一(一四〇四)年、上人は『五重指南目録』を撰し「浄土宗安心相伝五重の内、口伝指南(『浄土伝統輯要』六一頁)」と、書伝に加えて五重各々に初重四箇條(他、知り残し一箇條)、二重総別三十七箇條(他、云い残し一箇條)、三重一箇條(他、書き残し一箇條)、四重二箇條(他、云い残し一箇条)、五重六箇條(他、書き残し一箇条)の総数五十五箇条の口伝(本伝五十箇條、附伝五箇條)を設けた。ここに書伝と口伝という五重相伝の綱格が確立し、その定めによって聖聰上人以降広く行われることとなる。
善導・法然・聖光・良忠の二祖三代以来相承されてきた浄土宗義の核心を、正確にしかも遺漏なく伝授する方策として構築された五重相伝の制定は、上人の多彩なる業績の中でも、信仰教団としての浄土宗教団にもっとも多大なる影響を与え続けている。
それ以前に遡る至徳四(一三八七)年、上人は『顕浄土伝戒論』一巻を撰し、
何に況や円頓菩薩戒は、殊に浄土の嫡嫡相承の派脈也。故に最も代代相伝し世世受持す。〜中略〜 凡そ浄土一宗に於て二の血脈有り。いわゆる宗脈と戒脈と是なり。もし宗を伝ふる時は必ず以て戒をも伝ふべき。此の條は殊に浄土一宗の学者彼此一同なり。何ぞ不審に及ばんや。
(『浄全』十五・八九四・a〜八九六・a)
と、大乗の円頓菩薩戒が法然上人を経て嫡々と浄土宗にも伝えられており、浄土宗侶たる者は宗脈と共に戒脈をも伝授すべきことを定められた。
さらに上人は、応永二(一三九五)年、次の六箇条からなる『白旗式條』を撰した。
敬って曰す浄土宗白旗流儀相承制誡状。
一、余宗他流に移すべからざる事。
一、無相伝の輩に血脈書籍被見せしむべからざる事。
一、口伝の趣、口外すべからざる事。
一、先聞同聴、共語すべからざる事。
一、師命に違ふべからざる事。
一、安心相承の分を以て、人の師と為り相承せしむべからざる事。
(『浄土伝統輯要』六五頁)
こうした制誡を通じて上人は、宗脈を相承した者への自覚を促すと共に、宗義の乱れを防ぎ教団の統制を目指したのである。
また上人は、嘉慶元(一三八七)年、浄土列祖の著作の教相に関する十八箇條の口伝相承を記録した『教相十八通』を撰し、その各々一通ごとに「右、鎮西一流相伝の次第件の如し。釈了誉在判・沙門了実在判・沙門良順在判(『浄全』十二・七四九・b)」などと、師了実上人と鎌倉光明寺四世良順上人の署名を添えて本山伝・末山伝共に自身の領解に相違がないことを証明せしめた。
上人は、こうした五重相伝の制定・宗戒両脈の相伝・『白旗式條』の制定・『教相十八通』の撰述など随自顕宗の憲章に尽力し、浄土宗内における白旗派の正統性の宣揚と白旗派内の本山伝・末山伝の合同を成し遂げ、浄土宗教団の護持・発展と宗侶の質的向上の礎を確立したのである。
(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)