1、聖冏上人のおかれた時代背景とその教学の二面性

  (1)対自宗的立場〜浄土宗の状況を中心に〜

 まず上人修学当時の浄土宗の状況について概観したい。

 浄土宗第三祖良忠上人の門下は、良暁上人の白旗派、性心上人の藤田派、尊観上人の名越派、道光上人の三條派、然空上人の一條派、良空上人の木幡派の六派があった。そして前三者を関東三派、後三者を京都三派と称していた。上人の時代になると六派の中、藤田派や三條派、特に名越派の良栄上人が「大沢見聞」と称せられる多くの著作を撰して自派の正統性を盛んに宣揚していた。

 一方、白旗派内では派祖良暁上人が鎌倉光明寺の二祖を継ぎ、その門下に定慧上人と蓮勝上人とがあった。定慧上人は鎌倉光明寺に、蓮勝上人は常陸国太田の法然寺に住した。定慧上人は宗戒両脈を相伝したが、蓮勝上人は宗脈のみを相伝していた。蓮勝上人の後には瓜連の常福寺を開いた了実上人があった。定慧上人の系統を本山系、蓮勝・了実上人の系統を末山系と称していた。

 そうした中、上人は八歳にして常福寺の了実上人の下で剃髪、十五歳で蓮勝上人の下に移り浄土宗義を学んだ。後、十八歳で相模国箕田桑原道場の定慧上人についてさらに浄土宗義を学び、二十五歳で円頓戒を授かった。ここに上人は、法然上人から数えて宗脈からいえば七祖〈法然〜聖光〜良忠〜良暁〜蓮勝〜了実〜聖冏〉、戒脈からいえば六祖〈法然〜聖光〜良忠〜了暁〜定慧〜聖冏〉の法統を継ぎ、白旗派における本山・末山両系統を合同できる位置に立った。

 このように上人修学当時の浄土宗の状況は、各派がその正統性を主張し論陣を張っており、白旗派内においても本山系・末山系の併立というありさまで、白旗派の正統性の宣揚と派内の合同こそ上人に望まれたのである。

(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)