まとめ
このあと良忠上人は鎌倉に移り、晩年は再度上洛して念仏の教えを広め、終生著作活動を続けられたのであるが、それらの多くの著作は法然上人から二祖が受けついだ選択本願念仏義の祖述と顕彰にあったと言える。入寂の地は今日の鎌倉光明寺であり、弘安十年(一二八七)七月六日、八十九歳であった。
(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)