(一)出家と修学
浄土宗第三祖の法灯を継いだ良忠上人(然阿、記主禅師)は、了慧道光の『然阿上人伝』によると、姓は藤原氏、父は円尊という。正治元年(一一九九)七月二十七日、石見国(島根県)三隅庄に生れた。父円尊は比叡山東塔南谷の大林房宣雲の弟子で、のち石見に遁世し、九十三歳で往生された。又上人は十一歳の時『往生要集』の講説を聞き、浄土を欣求する心を起されたという。
建暦元年(一二一一)二月、出雲の鰐淵寺月珠房信暹に師事し、建保二年(一二一四)十六歳で出家され、同十一月登壇(鰐淵寺)受戒し、その後天台倶舎等を学び、更に諸宗の学匠を歴訪して広く学問を修め、貞永元年(一二三二)三月生国石見に帰り、多陀寺に住した。その間に法照の『大聖竹林寺記』を読み、浄土の教えに引かれ、不断念仏を行なって数年を送られたという。その頃たまたま信州善光寺で法然上人正流の相承者を確認する為の参詣を終えて正流相承者は聖光上人であるとの確信に基づき、九州へ向う生仏が、石見に念仏者のいることを聞いて立ち寄り、鎮西に聖光上人の居ることを紹介し、良忠上人は後日必ず鎮西に聖光上人を訪ねることを約束されたというのである。
(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)