第三節 證空浄土教の特徴
法然上人門下の他の諸師と異なり、證空上人の仏教学の修学順序は、まず師のもとで浄土宗の奥義を学んだ後、師の晩年、承元元年師の四国配流(建永の法難)の直前に、師の指示によって天台僧願蓮(河内磯長の太子御陵在住)に天台止観の法門を学んだ。このことは證空浄土教の性格を決定づけるにいたった。證空浄土教の特徴について五項目に分けて論述したい。
まず第一は戒律の重視である。師の法然上人は選択本願念仏の立場から、往生の行としては戒律(天台円頓戒)を雑行として廃捨した。しかし、法然上人御自身は日常の修行生活において戒律を厳守し、清僧として、授戒師の黒谷上人として一生を貫いた。この日常の行儀としての戒律の厳守を受け継いだのが證空上人である。しかも、教学の立場から言えば、證空浄土教の思想基盤は天台大師智・慂郢Р禅�』と善導大師の「観経疏』とにもとづいている �垢覆錣繊⊂綽佑糧・蠱鯊い砲茲訃・胸霈睫段検吻Α法暮・蚕夙・个篁該蠡臟飴莊淙・枡睚現顱峪猷蠑気諒検吻А法廖暮・蚕充刑弌砲砲茲譴弌・・・擽気諒・斬侶呂・慂郢Р禅�』(円頓戒)と『観経疏』(念福λとの二典籍によって構澄Φれていることぁ�世蕕・任△襦1Δ痢峪猷蠑気諒検廚脇・篁庸・阿痢∈波嫻・両綽佑・以・伐箸隆愀犬砲弔い凸棲里暴劼戮進絃呂任△襦B┐繊
1、四戒相承の金剛宝戒は諸仏の本源にして弥陀に敬帰す。
2、依心起行に八万余門あり、釈尊の教説は十六観を成ず。
3、六字具足して弘願を開顕すれば、善悪の凡夫皆往生を得。
4、願わくは此の功徳を以て平等に一切に施し、同じく菩提心を発して安楽国に往生せん。
南無阿弥陀仏 沙門 證空
比丘尼 喜忍
とある。このうち、第一行では『菩薩戒経』(『梵網経』下巻)に説かれる戒は毘廬遮那仏↑釈迦仏↑菩薩↑衆生と、四段階を経て伝わる金剛のごとき戒であって、諸仏が成仏する根源となるものである、という。上人の戒は、凡夫がまことの念仏者となって弥陀仏に帰依してはじめて身につけることができる、という。
第二行では釈尊が一代に説かれた自力修行の聖道門の教え(浄土宗以外の教え)は結局は浄土門の教え(『観無量寿経疏』の観門の教え)を説くためであった、という。
第三行ではこの浄土門の教え(観門)によって阿弥陀仏の本願(弘願)があきらかにされて、機法一体の南無阿弥陀仏によって凡夫が極楽に往生することができる、という。
第四行ではこの阿弥陀仏の本願(弘願)の功徳を一切の人々に知らしめ、もろともに信心を発して、もろともに極楽に往生しよう、と述べている。
したがって、上人はこの「四戒相承の文」において、念仏の信心の上に凡夫に戒行の実践をすすめているといえよう。
第二は法然・證空両上人の臨終時の有様に共通点があることである。まず『勅修御伝(8)』の伝えるところによれば、法然上人は死の前夜六時から当日の午前十時まで高声念仏を称え、正午頃慈覚大師円仁相伝の九條の袈裟をかけて、光明遍照の文をとなえて入滅された、という。袈裟は出家者の象徴であり、出家者のあかしである。それはいわば根本戒であり、法然上人の深層意識においては天台の円頓戒(菩薩戒)につながっていたものと考えられる。例えば、法然上人が立教開宗し、専修念仏帰入後も、七十歳にいたるまで、九條兼実にたびたび授戒している事実と思い合わされる。
一方證空上人は死の四日前、病床にてもいつもと変らない説法三昧を続け、とくに菩薩戒(円頓戒)や善導の『観経疏』に関する説法をくりかえしている(9)。さらに死の前日にも天台大師の『菩薩戒義記』の内容について、見舞に来た泉涌寺の長老と問答したり、善導の『観経疏』に関する説法を重ねて門弟に対しておこなっている。また門弟たちの同音の『阿弥陀経』読誦の読み誤りを正したり、最後のお念仏で、数珠くりをわざわざ母珠のところまでくった上で入滅した等々は上人の厳格な人柄でよく物語っている。法然・證空両上人の臨終の描写で気づくことは、ともに臨終時に戒(円頓戒)に対する意識が高まっていることである。證空上人はおそらく法然上人にならい、念仏と戒との関係について独自の思索を深めていったものと思われる。
第三はきわめて思索的で、哲学的な浄土教を展開した證空上人は、一方では「ひら信じの念仏」ということを勧説している。まず法然上人においては学問と念仏との関係をどのように考えておられたであろうか。「東大寺十問答(10)」では少しばかり智慧があっても、道心のない人と、無智ではあるが、道心のある人とを比較すると、前者は後者より千倍も万倍も劣っている、という。法然上人は智慧の有無よりも道心を重視している。その上で、ともに道心があれば、当然無智よりも有智の方がよいに決まっているとしている。
一方證空上人も学問(智慧)の有無ではなく、むなしからざる本願念仏をひらに信ずるか否かによって往生が決まると述べている(11)。すなわち、法然上人が智慧の有無よりも道心を重視されたと同様に、證空上人は学問の有無にかかわらず、ひら信じの念仏を重視しているといえよう。
第四は證空上人の主張する念仏は自力のいろどりのない、白木になりかえる念仏であるとする。まず法然上人は「禅勝房伝説の詞(12)」の中で、本願の念仏とはひとりだちの念仏であり、助(すけ)をささぬ念仏である、という。すなわち、本願の念仏とは智慧・持戒・道心・慈悲等によって補助される念仏ではない。ひとりだちの念仏であるから、ただ生まれつきのままに申す念仏が大切である、と述べている。
一方證空上人は、法然上人の「助をささぬ念仏」を「いろどりなき白木の念仏」と言いかえ、法然上人の「むまれつきのままにて申す念仏」を「失念の位の白木になりかえる念仏」と言いかえたものと思われる。證空上人によれば、自力根性の人は大乗のさとり・ふかき領解・戒・身心をととのふ・定散二善等によって念仏をいろどる(13)、という。結局證空上人は白木念仏とは、「申せば生ると信じて、ほれぼれと南無阿弥陀仏と称ふる(14)」念仏であると結論づけている。
しかしながら、はたして證空上人自身「ふかき領解をもっていろどり、或は戒をもていろど」ったりしてはいない、と言えるであろうか。
第五は證空上人は「鎮勧用心」(とこしなえに念仏の用心を勧む)という法語の中で、法然上人が廃捨した諸行をも含めた、ひろやかな念仏論を展開している。この「鎮勧用心」は西山派の一枚起請文と呼ばれ、白木念仏の歓びに生きる日暮しを続けるための心掛けについて述べている。この法語は寛元元年(一二四三)證空六十七歳の時、後鳥羽院の皇子、道覚法親王に与えられたものである。その内容は、
1、 ねむって一夜をあかすも報仏修徳のうちにあかし、さめて一日
2、 をくらすも弥陀内証のうちに暮す。
3、 機根つたなくとも卑下すべからず仏に下根を摂する願(がん)います。
4、 行業とぼしくとも疑ふべからず経に乃至十念の文あり。
5、 はげむも欣ばし正行増進の故に、はげまざるも喜ばし正因円満
6、 の故に。
7、 徒(いたず)らに機の善悪を論じて仏の強縁を忘るること勿れ。
8、 不信につけてもいよいよ本願を信じ、懈怠につけてもますます大
9、 悲を仰ぐべし。
である(15)。このうち、第一句(第一行〜二行)は證空上人の宗教体験が述べられた箇所である。これと同様な宗教的境涯を伝えるものに『安心決定鈔』の次のような文章がある。
「あさなあさな仏と共におき、ゆうなゆうな仏と共に臥(ふ)すといへり。…………あさなあさな報仏の功徳をもちながら起き、ゆうなゆうな弥陀の仏智と共に臥(ふ)す」
右のように「鎮勧用心」と「安心決定鈔」とはきわめて類似した表現となっている。報仏とは報身仏のことで、阿弥陀仏が因位(法藏菩薩)の時に十方衆生を救うために四十八の誓願と兆載永劫の修行をされ、その願行にむくいて阿弥陀仏となられたことをいう。この弥陀因位の修徳と弥陀内証の功徳の懐(ふところ)の中に念仏者は「一夜をあかし」、「一日をくらす」のである。
第二句(第三行〜四行)では「機根つたなく」、「行業とぼしい」凡夫であっても、自らを卑下したり、往生を疑ってはいけない、という。この場合の凡夫であるが、上人は善導の解釈に従い、凡夫に善の凡夫(大乗にあえる上輩の凡夫、小乗にあえる中輩の凡夫)と悪の凡夫(造罪・破戒・五逆の下輩の凡夫)とに分け、これを一人の凡夫における善悪両面ととらえている。つまり、凡夫には唯善の凡夫や唯悪の凡夫というものはなく、すべての凡夫に善悪の両面があるとする。親鸞聖人の凡夫観との違いがここにある。
第三句(第五行〜六行)では上人独自の教学用語である「正因・正行」について語っている。正因とは往生のための究極的な原因のことで、弥陀の本願(弘願)を意味し、正行とは往生のための行因の意味ではなく、本願に帰入した上での機の種々相をあらわしている。往生のための行因は本願念仏以外にはない。
ここで、念仏と正行との関係について考えてみたい。まず最初に上人の念仏観が問題となるが、上人は衆生が救われる往生行は衆生の側にはなくて、阿弥陀仏の仏体そのものにあるとする(仏体即行、仏体他力)。したがって、衆生の側では「阿弥陀仏が真実に凡夫を度する仏なりと意得て、帰命して信ずる」(憶念、安心の領解)ことがまず重要である。この憶念から口業の称名念仏が出てくる。『観念法門自筆鈔』に、
「念心すでに徹すれば、必ず声にあらわれる」
という。また阿弥陀仏の仏体の功徳は悉く名号南無阿弥陀仏(六字の名号)にきわまる。なぜかと言えば、名体不二の論理にもとずいて体は名にきわまるからである、という。
この憶念の念仏は衆生の機の上の念仏ではなく、衆生の機の位を離れているから、離三業の念仏といわれる。この離三業の念仏(憶念)が衆生の機の上の三業にあらわれるのであって、口業の称名念仏はその一つであるが、それ以外にも衆生の三業にあらわれた諸善万行を悉く上人は衆生の機の上の三業念仏と位置づけている。「鎮勧用心」ではこの衆生の三業念仏を(正因の上の)正行と呼んでいる。これはきわめてひろやかな念仏論と言わねばならない。
したがって、上人は口業称名行を否定したのではなく、口業称名行が出てくる根源を追求したのである。故に上人の念仏論には憶念の念仏(離三業念仏)と衆生の機の上にあらわれた口業称名念仏との二面性がみられる。
しかしながら、三業念仏が主張されることにより、諸善万行が念仏胎内の善と呼ばれ、きわめてひろやかな念仏論が展開されるにいたった。ただし、この口業の称名念仏以外の、他の三業念仏(諸善万行)は往生行ではなく、阿弥陀仏に対する歓喜踊躍の心が自然に三業の機の上にあらわれた報恩行であって、何等すべての念仏者に強制される性格のものではない。故に「鎮勧用心」では「はげむも欣ばし」、「はげまざるも喜ばし」と述べている。
第四句(第七行)では念仏者はいたずらに自らの修行能力を論じて一喜一憂することなく、ただ弥陀の本願を頼みとすべきである。阿弥陀仏の仏体こそが衆生往生の行体であり、阿弥陀仏は衆生の往生と自らの正覚の成就とを同時一体に誓われ、完成されたみ仏である。阿弥陀仏が正覚を成就されたということは、とりもなおさず衆生の往生も一分の疑いもなく保証されているということになる。
第五句(第八行〜九行)では凡夫には生まれつき、不信・懈怠の二つの煩悩がつきまとっているが、それにまどわされることなく、一向に弥陀の本願を仰ぐべきことを強調して終っている。
以上、證空上人の教えは法然上人の『選択本願念仏集』の教えの、西山義的な一展開ということができよう。
註
(1)斎木一馬「興善寺所藏の源空・証空書状覚え書」(『藤原弘道先生・古稀記念論文集』所収)
(2)上田良凖『浄土仏教の思想第十一巻、証空・一遍』(講談社)二十一頁。
(3)上田良凖前掲書十九頁。
(4)注(3)参照。
(5)注(3)参照。
(6)上田良凖前掲書六十四頁〜六十七頁。
(7)上田良凖前掲書六十九頁〜七十一頁。
(8)『勅修御伝』巻三七(『法然上人伝全集』二四四頁。)
(9)『善恵上人絵』巻四(『大日本史料』第五編之二十三、二四九〜二五一頁)
(10)昭法全六四五〜六頁。
(11)『勅伝』四七巻、『西山上人短編鈔物集』二五〇〜一頁。
(12)昭法全四六二頁。
(13)『勅伝』四七巻、『西山上人短編鈔物集』二四一〜五頁。
(14)『勅伝』四七巻、『西山上人短編鈔物集』二四五頁。
(15)『西山上人短編鈔物集』一四九頁。
(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)