第三節 末代念仏授手印の撰述

 安貞二年(一二二八)上人は十七人の衆徒とともに肥後国往生院において四十八日の別時念仏をおこない、『末代念仏授手印』一巻を撰述した。「末代」とは法然滅後のことであり、「授手印」とは聖光上人が法然上人から伝授された念仏往生の義を記述し、手印をもって、その証明とした書という意味である。本書は五重伝法の第二重、三巻書の中の第二の巻物として尊崇伝承されている。本書撰述の背景には、法然滅後に門下の異義邪説が横行し、法然上人の正義が失われつつあったことに対する、上人の深い慨嘆の思いがあった。すなわち、本書の序文に(⑩)、

 「上人往生の後は、其の義を水火に諍い、其の論を蘭菊に致して、還て念仏の行を失いて、空しく浄土の業を廃す。悲しきかなや、悲しきかなや。いかんがせむ、いかんがせむ。ここに貧道齢(よわい)已に七旬に及んで余命また幾ばくならず、悩(なげ)かずんばあるべからず。愁(うれ)へずば空しく止むなむ」

とある。上人のいう異義とは幸西の一念義、證空の西山義、法本房の寂光土義の三義である。法然上人入寂前後から嘉禄の法難にいたるまでの法然門下の著述活動を列挙すると、

 一二〇九年(承元三)隆寛『弥陀本願義』

 一二一四年(建保二)幸西これ以前に『京師和尚類聚伝』撰述

 一二一五年(建保三)證空『観経疏自筆鈔』講述開始

 一二一六年(建保四)隆寛『具三心義』

 一二一七年(建保五)隆寛『散善義問答』

 一二一八年(建保六)幸西『玄義分抄』

 一二二〇年(承久二)隆寛『極楽浄土宗義』

 一二二四年(元仁元)親鸞草稿本『教行信証』

となる。これによると、聖光上人が著述活動を開始する以前にすでに隆寛・幸西・證空・親鸞等の有力門弟たちがそれぞれの独自の教学・思想をすでに発表していたことが知られる。上人はこれらの有力門弟のうち、幸西・證空・法本房の三師を異義者と批難しているが、隆寛・親鸞に対しては何等批難を展開していない。

 本書の内容は、まず初めに「究寛大乗浄土門 諸行往生称名勝我閣万行選仏名 往生浄土見尊体」という四句の偈文(伝法要偈)が記され、序分に本書撰述の動機・意図が述べられている。本文に入ると、浄土一宗の義(第一重、五種正行、第二重、正助二行)、浄土一宗の行(第三重、三心、第四重、五念門、第五重、四修、第六重、三種行儀)、奥図の三段に分けられ、合計六重二十二件五十五の法数について詳述されている。末尾には手印・血脈相承・手次状(念仏往生浄土宗血脈相伝手次ノ事)・裏書等が附加されている。本書は三巻七書の中では他の伝書と直接間接に深くかかわる書であるとともに、また機行解証信と次第する五重伝法の綱格の中では行(結帰一行三昧)を明らかにする伝書として位置づけられ、伝法の中核をなす重要な書である。

 ①『聖光上人伝』、『念仏名義集』

 ②『四十八巻伝』、『三昧発得記』

 ③『四十八巻伝』、『九巻伝』、良忠『選択疑問答』

 ④『拾遺古徳伝』、信瑞『黒谷上人伝』

 ⑤『聖光上人伝』、『決疑鈔直牒』第一

 ⑥浄全第七巻九六頁。

 ⑦『徹選択集』上巻

 ⑧『選択集』(浄全第七巻六九~七〇頁)

 ⑨『徹選択集』(浄全第七巻九二~九五頁)

 ⑩『末代念仏授手印』(浄全第十巻一頁)

(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)