本年度の布教・教化目標

『選択本願念仏集』の展開

第一章 二祖鎮西聖光上人

 第一節『選択本願念仏集』の相伝と『徹選択集』の撰述

 聖光上人と法然上人との初めての出会いは、途中に中断する時期はあるものの、法然上人六十五歳の五月から七十二歳の八月までの、前後七年の間である(1)。この時期、法然上人の御生涯における重要な出来事は三昧発得の宗教体験と『選択集』の撰述である。法然諸伝記によれば、法然上人の三昧発得は聖光上人の入室期間と一致し、六十五歳から七十二歳にかけて頻繁に記録されている(2)。聖光上人は師から念仏行による高度な宗教体験を目のあたり教わったことであろう。念仏行の実践をとくに重視する聖光浄土教の特徴は法然上人の三昧発得の体験に起因する。また同じくこの期間、法然上人は六十五歳(3)(あるいは七十二歳(4))の時に『選択集』を撰述した。入室後間もない頃であったためか聖光上人は『選択集』撰述の場には何等参画していない。しかしながら、撰述の翌年、正治元年(一一九九)に師より『選択集』を相伝したとされる(5)。すなわち、『徹選択集』巻上に(6)、

 「ここに弟子某甲低頭挙手し、合掌恭敬して跪(ひざまず)いてもってこれを賜わり畢んぬ。歓喜身に余り、随喜心に留る。伏しておもんみれば、報じがたし、仰いでおもんみれば、謝しがたし。ただに義理を口決に伝ふるのみにあらず、また造書を眼前に授けらる」

と感激をもって記述している。

 それから三十八年後の嘉禎三年(一二三七)に上人は『徹選択本願念仏集』(法然上人の『選択集』を述徹する書)二巻を撰述した。上人自ら本書撰述の意図について「一には先師上人の広学博覧の智徳を顕わさんがためなり。二には濁世末代の小智愚鈍(聖道門諸宗、および法然門下の異流)の迷惑を救わんがためなり(⑦)」と述べている。本書の内容は、上巻では『選択集』本文の十六章段について解説し、選択本願念仏の義、すなわち別の念仏について述べている。とくに法然上人が選択に八種の選択義(⑧)を説いているのに対して、上人は二十二種の選択義(⑨)を詳論し、独自の聖浄兼学の視点から法然上人の選択本願念仏義の真実性と普遍性を強調している。

 次に下巻では総(通)の念仏、すなわち『大智度論』の念仏を明らかにしている。まず念仏とは本来不離仏値遇仏の義であるとし、その上で、菩薩の浄仏国土の行である六度万行も、不離仏値遇仏の行にほかならないから広義の念仏(これを総の念仏という)であり、口称念仏にも不離仏値遇仏の義があるから狭義の念仏(これを別の念仏という)であるとし、その共通点を指摘する。そして結局その共通点の上に立って、別の念仏(口称念仏)の深勝性を論証したのである。

 このように上人は法然上人の選択本願念仏が浅行ではないことを証明するために、『大智度論』の浄仏国土思想を援用して、聖道門諸宗からの論難に反駁したものと言えるであろう。

(平成12年度 浄土宗布教・教化指針より)