六 『般舟三昧経』と法然上人

 この『般舟三昧経』は経典の中で、阿弥陀仏の、しかも御名を称えるというお経では最古の貴重なお経である。浄土三部経よりも古い時代の訳で、法然上人も『選択本願念仏集』には、浄土三部経の他に、傍らに浄土宗を明かす経として説かれ、引用もされている。

 『選択本願念仏集』の最後の章の私釈段で、『無量寿経』には(1)選択本願、(2)選択讃歎、(3)選択留教、『観無量寿経』には(4)選択摂取、(5)選択化讃、(6)選択附属、『阿弥陀経』には(7)選択証誠があるとされて後、『般舟三昧経』には(8)選択我名があると言われている。

 また、第十五章 六方諸佛護念篇では、善導大師の引用の同経第二行品と第六擁護品の要旨を短文にまとめたものを引用されている。

  又(『観念法門』に)云く、又『般舟三昧経』の行品に説いて云うがごとく、仏の言わ

  く、もし人専らこの弥陀仏三昧を行ずれば、常に一切の諸天および四天王、龍神八部、

  随逐影護し、愛楽相見することを得て、永く諸の悪鬼神・災障厄難、横に悩乱を加え

  ること無し。つぶさには護持品〔擁護品〕に説くがごとし。

 又、すでに『阿弥陀経釈』(『昭和法然上人全集』一三二頁九)にも、『往生要集』第八門念仏証拠の中の念仏を往生の業となす文十のうちの次の文を引用されてもいる。

  八は般舟経(行品)に云く、阿弥陀仏言わく、我が国に来生せんと欲せば常に我が名

  をねんぜよ。しばしばまさに専念して休息あることなかるべし。かくのごとくせば我

  が国に来生することを得ん。(岩波『源信』二五二頁)

 法然上人は正に往生浄土を明かす教は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』で、傍らに往生浄土を明かす教は華厳・法華・随求・尊勝等として『般舟三昧経』は名がしめされていないが、等の中に『般舟三昧経』は含まれると考えてよいのである。

 『般舟三昧経』の経名は、般舟が梵語では、プラティサムウトパンナで、現前立という意味である。したがって、阿弥陀仏の御名を一心に呼びながら三昧に入れば、阿弥陀仏は現に行者の前面に立たれるということが、経の趣旨である。

 この経の行品で、普通、あまり注目されないが私が特に注目する叙述がある。それまでの経典としては破格の表現である婬女と若者の相思を、凡夫と弥陀の関係に例えたことである。おそらく婬女との交情が譬えなのであまり説明もされてこなかったのであろう。次のような趣旨の例え話である。

 王舎城に住む三人の男がいた。堕舎利(ヴァイシャーリー)国に居る会った事もない三人の婬女のことを聞いた。しかし、その話をきいて婬意が発動し、同時に婬女を念じた。各々夢の中に、それぞれの女性のところに行って共に宿に棲んだ。目覚めて、それぞれにその会合を思いだしていた、という。このように仏も思い念ずれば必ず眼前に仏が立つ、と説いている。

 男女のことでは厳しい仏教も、ずいぶん砕けた譬喩である。しかし、男女の交情というもっとも人間味あふれる譬喩を経典に持ってきたと言うことは、血も通わない怜悧な教えから、仏滅五百年前後になって、人間らしい教えに下がってきた、近づいてきた、といえるのではないだろうか。また、法然上人は善導大師に傾倒されるだけでなく、女性の問題や男女のことに、頑なな聖の道とは別な、凡聖一如というか、凡夫、人間の道を、善導大師に引き継いで発展されたと思われる。女人往生のお考えとも同じ線である。

 法然上人はこのような環境の中に善導大師の一心専念の御文へと進まれたのである。

 以上、特に法然上人の念仏の心を培われ、その後の浄土宗への展開になった主要な経典等によって、述べ、また、追体験的に考えたが、それは、図示すると次ページのようなものであろう。

 各章に掲載されている絵は、「選択集奉戴八百年記念」の事業として制作された「平成法然上人絵伝」です。

 絵は二月末に完成いたしました。現在、最高の印刷技術をもって複製、近日中には解説書を添付して各寺に配付いたします。(浄土宗出版室)

(念仏を基礎の)

授戒

『法華経』

多様おおらかな念仏

念仏の心

源信『往生要集』

善導『観経疏』

『浄土三部経』

念仏(五重)

常行三昧

『般舟三昧経』

女人往生

凡夫往生

法然上人 御一代

第1章 御生誕

第2章 比叡山に登る

第3章 開宗

第4章 二祖対面

第5章 『選択本願念仏集』

第6章 阿波介と天野四郎

第7章 法難

第8章 上人ご往生

(平成11年度 浄土宗布教・教化指針より)