仏教史上における女性

 仏教史上といっても広範囲にわたるので、今は浄土教史にしぼって概観することにしたい。しかし、浄土教史にしぼっても、その様相は全仏教史上と変わらないものとも思われる。

 インドにおいて世親菩薩は、『無量寿経』の第三十五願の所説にもとづき、阿弥陀仏の浄土には女性はいないとし、したがって女性は往生できないと判断した。浄土に女性はいないというのは一般論ではなく、浄土に女性がいると説く経典も存在する。また、第三十五願の場合は、女人が女身を厭いきらって浄土に往生したいと願っているにもかかわらず、再び女性に生れ変わるならば、と限定した立場が示されているのであって、女性すべてが女身をきらっているわけでもなく、それがそのまま世親菩薩のように浄土に女性はいないとするのは極端な見方ということになる。しかし、女性が再び女身をとることをきらうという背景には、女性に対する差別性が存在するからであろう。

 世親菩薩の解釈した立場は、そのまま中国にも受けつがれ、『往生論』を釈した曇鸞大師、その後の道綽禅師を経て善導大師ですら『観念法門』に、

   弥陀の本願力によるが故に、女人、仏の名号を称すれば、正しく命終のとき即ち女

  身を転じて男子と成ずることを得。弥陀は手を接し菩薩は身を扶けて宝華の上に坐さ

  しめ、仏に随って往生し、仏の大会に入って無生を証悟す。また一切の女人、もし弥

  陀の名願力によらずんば千劫万劫恒河沙等の劫にも、終いに女身を転ずべきからず。

  あるいは道俗あって云わく、女人の浄土に生ずることを得ずといわば、これは妄説な

  り。信ずべからざるなり。(原漢文)

と言っているほどである。女人が女身を転じたいということだけならよいが、やはりその背景に女性蔑視の見方があるから問題となる。仏道修行、とくに念仏の実践にあって女性が女身を転じて男子となる必要性は何もないはずである。

 善導大師以外の中国僧についてもだいたい差別的な位置づけが見られるが、日本に至っても同じである。南都の仏教では女性を拒否する修行道場が多い。ごく最近、山岳修行の行場に女性が入れるようにしようと決められたところもあるほどである。これは修行の厳しさにより男性中心の修行のあり方から、修行の障害を除くために女性を拒否してきた歴史があり、単純に女性を入れないから女性蔑視ともいえないのであるが、やはり男性中心の仏教のありかたが優先する結果であることは否定できない。これと同じ傾向が比叡山や高野山にも見られた。事情はあるにしても男性の出家専門の修行道場として、女性の入山を拒否してきた。

 もともとすべての差別を説かない仏教であるのに、このようにインド以来、日本に到るまで、いろいろな形で女性を差別してきたのである。また、日本独自の家族制によって、女性固有のケガレからくる女人差別観が登場し、女人結界をつくったという見方もある。平安時代から鎌倉時代にかけて、南都等の仏教者に女人の往生や成仏を説くものがあっても、すべて変成男子・転女成男においてであって真の平等性はなかった。

(平成10年度 浄土宗布教・教化指針より)