女性も男性に生れ変われば仏に成れるという考え方は、インドの社会の女性蔑視の見方と仏教の平等性が矛盾なく満たされた形として示されたともいわれる。当時のインドの社会において、女性は仏になれないという見方からすれば、『法華経』等は画期的な考え方が示されたということになる。『法華経』「提婆達多品」には、
そのとき舎利弗、竜女に語りて言わく「汝は久しからずして無上道を得たりとおも
えるも、このこと信じ難し。所以はいかん。女身は垢穢にしてこれ法器に非ず。いか
んぞよく無上菩提を得ん。仏道はるかにして、無量劫を経て勤苦して行を積み、具さ
んに諸度を修して、然して後すなわち成ずるなり。(中略)いかんぞ女身、速やかに成
仏することを得ん」と。(中略)このとき衆会はみな竜女の忽然の間に変じて男子と成
り、菩薩の行を具して、すなわち南方の無垢世界に往き、宝蓮華に坐して等正覚を成
じ、三十二相八十種好ありて普く十方の一切衆生のために妙法を演説するを見たり。
(漢文)
とあって、成仏の道ははるかなものであるはずであるが、竜王の女(むすめ)の竜女が男に生れ変わり速やかに成仏することが説かれている。
女性も成仏するという意味で画期的であったと思われるが、やはり真の平等性が示されたのではない。なぜこのようなことになったのであろうか。
変成男子は転女成男ともいい、このような考え方が出てきたのは、インドの社会の女性蔑視の見方のほかに、さらに仏教の仏陀観に対する誤解もあったのではないだろうか。
仏陀にはわれわれ普通の人間にはそなわらない三十二相八十随形好という特別なすがたがある。相は大きい特色、好は小さい特色で、その中の一つに陰馬蔵相というすがたがある。陰馬蔵相は、馬と同じようにいわゆる男性自身が外へ表れず、中へひっこんでいるという相である。中へひっこんでいても男性自身はあるということから、仏陀は男性であり、やがて仏陀には男性でなければなれないと曲解されてしまったのである。陰馬蔵相が示されたのは修行の障害にならないためのものであり、男性でなければなれないということの意味ではなかったはずである。
また、それは釈尊が男性であったことにより、仏陀釈尊の絶対性、永遠性を示すためのもので、あるいは性をこえるということがあったかもしれない。
しかし、インドにおける社会風潮に流されてしまった感もあり、女性に対する差別的表現がなされ、またそのことを積極的に肯定しないまでも、積極的に否定をしなかったところの仏教の歴史に問題があった。
そこで次にインド以来、法然上人に到るまでの仏教史における女性の地位について概観してみよう。
(平成10年度 浄土宗布教・教化指針より)