四 越前西福寺良如の念仏

 法然上人滅後百五十年余のちの応安元年(一三六八)八月、越前国敦賀の原に、西福寺なる寺が民衆の結衆によって開創されたと伝えている。この寺の開山は越前府中出身の僧良如といい、彼は本来平泉寺で出家し、叡山で修行した天台僧であったが、のち浄土宗一条派の道場たる京都・清浄華院の敬法(同院八世)に嗣法して浄土僧となった人物である。

 師の敬法は伏見天皇の皇孫といい、その弟子の定玄は万里小路家と師檀関係を結び、朝廷や公家との関係が深く、自然と京畿浄土宗の中心となって栄えた。

 その良如が故郷の越前において、融通念仏による結縁によって、敦賀の原に西福寺を、府中には正覚寺を建立した。良如の弟子の浄鎮が応永三十二年(一四二五)十二月十五日付の「浄鎮置文」(西福寺文書所収)において、良如は一紙半銭の奉賀を募って西福寺を建立し、その後惣塔を建て、奉賀の人びとの納骨を行い、追善回向を施し、現当二世の利益を説いたのであった。

(平成10年度 浄土宗布教・教化指針より)