二 正行房の念仏

 このような結縁交名による念仏の結縁の方法は、源智のみならず、法然上人の周辺にある人びとによって行われていた。その一つに奈良市興善寺本尊阿弥陀仏立像の胎内より発見された、法然上人を始め、証空・親蓮・欣西・円親等の消息や封紙の紙背に書き連ねられた念仏結縁交名がある。これは昭和三十七年四月に発見された、いわゆる『興善寺文書』と呼ばれる一連の文書で、あたかも前年の三十六年が法然上人七百五十年の大遠忌の聖辰に当たり、しかも、戦後分裂して混乱していた浄土宗が、再び合同した年でもあった。こうした時にこの文書の発見は、法然上人への追慕と念仏信仰を昂める上に、また学問にも大きな励みとなった。

 この文書には『玉桂寺文書』のように、結縁の願文がないが、内臓されていた木製漆塗の円筒型の骨蔵器の表面に、金泥で、

  以其男女追従福 有大金光照地獄

  光中延説微妙音 開悟父母会心以

  億昔所造常造罪 一念悔心悉除滅

  口称南無三世仏 得脱無疑苦難身

  或生人天長受楽 或生十万浄土中

  七宝蓮花為父母 不退菩薩為同学

と書写されている。

 この銘文には、遺骨の俗姓などは一切不明であるが、その大意は、男女(二親)の追善のために、億昔に造る所の常造の罪でも、一念の悔心により悉く除滅し、南無三世仏を口称すれば、得税疑い無く人天に生まれ、長く楽を受け、或いは十万浄土中に生まれると述べている。

 この銘文で見る限り、法然上人の念仏の思想とは、少し異なるところがあるが、この文書中の法然上人の消息の宛先が「正行房」となっている。従って、この結縁交名状の主旨は、正行房が亡き両親の菩提のためと結縁者の往生浄土疑いなきこと希って、法然上人と上人の周辺にある証空などの人びとの消息の紙背を利用して交名状としたものと考えられる。

 この交名状には、先の源智の交名と同様、僧俗男女を問わず、姓名を書き連ね、その下に千返とか十返とか、あるいは百万返と念仏の数が記入されており、その交名の人数は、千五百二十余名の交名が見られるのである。しかも交名者の中に、「阿弥陀仏号」を称する阿弥陀聖が多数見られる。それは『玉桂寺文書』の場合と同様である。

(平成10年度 浄土宗布教・教化指針より)