法然上人の念仏行の自行の面は以上のようであるが、その念仏行の化他の面はどのようであったであろうか。それは『黒谷上人語灯録』に収められている法然上人の漢語、和語のご書物のほとんどがこれを述べておられるのであるが、今は法然上人がお弟子に対してどのように教授されたかということにひとまずしぼって、鎮西上人の例を『末代念仏授手印』によって紹介してみよう。『授手印』は周知のように法然上人のお念仏の正義を述べたものであるから、本文の六重二十二件五十五箇の法数で示される宗義と行相のすべてが法然上人の念仏義をあらわすことになる。六重二十二件の中、第一重の五種正行、第二重の正助二行分別、第三重の三心、第四重の五念門、第五重の四修、第六重の三種行儀は、結局法然上人の説き示されたお念仏の実践の在り方を書きとどめられたもの以外の何ものでもない。ゆえに『授手印』に示されるお念仏とその実践法こそ法然上人の念仏義と念仏行であるということになる。『授手印』について「序正等一部始終一行三昧結帰の事」といわれるのは『授手印』の内容を完全に把握したすばらしい表現でもある。
法然上人の教えを受けられた鎮西上人は『授手印』の序文で、次のように述懐されている。
弟子むかしは天台の門流を酌んで円乗の法水に浴せしかども、いまは浄土の金地を
望んで念仏の明月をもてあそぶ。ここをもって四教三観の明鏡をば相伝を証真に受く、
三心五念の宝玉をば稟承を源空に伝う。幸いなるかな弁阿、血脈を白骨に留め、口伝
を耳底に納めて、たしかにもって口に唱うるところは五万、六万、まことにもって心
に持つところは四修三心なり。これによって自行を専らにするの時は、口称の数遍を
もって正行とし、化他を勧むるの日は、称名の多念をもって浄業と教う。
これによると鎮西上人は、確かに法然上人から浄土の教えを稟承し、法然上人から念仏の義を相伝されたことがわかる。「たしかにもって唱うるところは五万、六万、まことにもって持つところは四修、三心」とあるように、起行として日別五万遍、六万遍の念仏、安心としての三心具足の念仏、作業としての四修に行ぜられる念仏は、法然上人が『一枚起請文』に示された「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思いとりて申す外には別の仔細そうらわず、ただし三心四修と申すことのそうろうは、みな決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもりそうろうなり」の教えのままに行ぜられる念仏であった。
鎮西上人は『授手印』本文の奥に、法然上人のおことばを、
釈していわく、我が法然上人ののたまわく、善導の御釈を拝見するに、源空が目に
は、三心も五心も四修も、みなともに南無阿弥陀仏と見ゆるなり。
と挙げて、すべては南無阿弥陀仏の念仏行につきることを法然上人のおことばをもって結んでおられるのである。七祖聖冏上人が「結帰一行三昧」といわれたのも、宜なるかなである。さらに鎮西上人は『授手印』に裏書きして、
弟子弁阿、かたじけなくも上人の御義を御存生の時、この一宗の始末において、つ
ぶさにこれを聞くこといく数度ぞや、よって弟子弁阿がためには、法然上人をもって
大師釈尊と仰ぎたてまつる。弁阿いま上人の御義を録して末代に贈る。
と記され、その念仏行を、
称名の行者、一字をも知らざる身となり、黒白をわきまえざる身となり、称名ばかりをもって、朝夕にこれを歌うべし。
とも、また、
その義を知らず、その文を知らずして、ただ称名ばかりによって、もっとも往生を
得べし。弟子、上人拝面の時、かくのごとくこれを学しき、これを習う。
と述べておられる。一目瞭然『一枚起請文』にしめされる「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」という法然上人の念仏行の教えが、鎮西上人にまさしく受けとめられていることがわかる。浄土宗のあらまほしい機根である「愚鈍念仏」の機根として「善知識の教えを聞いて、一向に信を生じ、威儀法則をわきまえず、行住坐臥を論ぜずして、日夜に念仏して、すなわち久しくその功を積んで往生する人」は、『一枚起請文』に示される念仏行の実践者の相に外ならない。
(平成10年度 浄土宗布教・教化指針より)