第二章

  選択本願念仏集

  一 『選択集』とは

 『選択本願念仏集』一巻は、ふつう『選択集』と略称している。わが国ではじめて念仏の教えを体系づけた、浄土宗の元祖法然上人(一一三三〜一二一二)の著述であり、漢文で書かれており、内容は十六章段からできている。阿弥陀仏という救済仏がすべての人間を救いとろうという、自らの聖意(本願)にもとづいて、多くの教えのなかから念仏の一行を選び取った(選択)、そして念仏に関する要文を経典や論疏から集めて、それを組織的に体系づけて論述したものである。『選択集』は、法然上人によって念仏の教えが一つの教えとして体系づけられた、いわば浄土宗の独立開宗の書であると同時に根本聖典である。

 東大寺の戒壇院で著したといわれる凝然(一二四〇〜一三二一)の『浄土法門源流章』には、

   源空六十六にして選択本願念仏集一巻を録し、浄土宗を立てて大いに義理を顕わす。これより巳後浄教甚だ昌んなり。貴賎倶に修し都鄙咸く遵う。

といっている。このように法然上人が『選択集』を著したことは、浄土宗開宗の宣言書とみられるばかりでなく、その著述によって、いかに多くの人びとに念仏の教えが盛んに弘まっていったかが、この凝然のことばによってうかがえる。

 ところで法然上人は四十三歳のとき、中国(唐代)の善導大師(六一三〜六八一・以下善導とする)の著した『観経疏』の散善義の文に、

   一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、是れを正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に。

とあり、これを見て称名念仏によるすべての人間の救済の確信をえたのである。この善導の『観経疏』の文を見た法然上人は、

   われらがごとくの無智の身は、偏えにこの文を仰ぎ、もはらこのことわりをたのみて、念念不捨の称名を修して決定往生の業因にそなうべし。ただ善導の遺教を信ずるのみにあらず。またあつく弥陀の弘願に順ぜり。順二彼仏ノ願一故の文、深く魂にそみ、心にとどめたるなり。(聖光上人伝説の詞)

と、自らがいっておられる。

 ここに法然上人は宗教的一大回心をえて、専修念仏の実践者となられたのである。この宗教的回心をえた法然上人は、それから二十数年をへた六十六歳のとき、この『選択集』を著したのである。したがって、この『選択集』は、法然上人が宗教的回心をえて主体的な信仰体験のふかまりから「念仏の教え」として、論理的に体系づけた著書であるといえるであろう。だからこの『選択集』には、法然上人の示す「念仏の教え」の論理的な体系づけと、その教えに含まれる実践的内容とが明らかにされているといえる。

 したがって『選択集』は、たんに学問知識のうえのみで解読される性格の書物でないことを知らねばならない。京都の毘沙門堂に住していた学僧・明禅(一一六七〜一二四二)は『選択集』を読んで、

   一遍はなにともおもひわくかたなく見をはりぬ。二遍には偏執のとがやまねくらんとおもひ見をはりぬ。第三遍よりは深旨ありと見なして、四五遍これを見るに信をまして疑なし。(『四十八巻伝』四十一)

といっている。この明禅のことばには『選択集』がたんに文面知識のうえで理解されるべきでなく、深い教理と実践の内容の含まれていることを示唆しているといえよう。

(平成10年度 浄土宗布教・教化指針より)