第五章 生活篇

念仏と死生観

 最近、死に関する問題が非常に関心を集めている。その中で、死に関心を抱くなら、逆に、どうして生きてゆくか、ということを考えた方が、死を容易に受け入れられるのではないかと思う。

 ある夏の暑い日であった。一組の老夫婦が、沖縄から私の診断所を尋ねて来た。ご主人が患者であり、診察すると一目でわかる肝臓癌の末期の状態であった。何でこんな末期の患者が、わざわざ沖縄から私のところへ来たのであろうかと怪訝に思ったが、紹介されて来られたので、奥さんに残ってもらい、ご主人は待合室に居るように言ったところ、奥さんは、主人は肝臓癌であることを知っている、どうか包み隠さず話をしてほしいとのことであった。そこで私は、何でこのような状態で私を訪ねたかを問うと、自分は現在やりかけの仕事がある。何としてもやり遂げたいので、あとどの位生きられるかを知りたい。私なら話をしてくれるであろう、とかかりつけの医者から言われたので受診されたと言う。それであるならばと、これから進行してゆく過程をすべて話した。そしてあと半年は大丈夫であろうと告げた。するとこの老人は涙を流して立ち上がり、私の手をとって喜びを表現され、自分は沖縄から上京して来た甲斐があった、と申された。暑い夏の日であり、遠方でもあるのでゆっくり休んで沖縄に帰るよう挨拶すると、やおらその老人は私に、先生は今自分に半年のいのちを保障してくれた。先生はこれから先が長いのであるが、自分は半年といういのちしかないので、やりかけの仕事を何としても遂げたいから一分一秒が惜しいのである。これから沖縄に帰る最終便に間に合うので帰りたい、と。そして二度と私に逢えないと思うが、深く感謝すると申された。これを聞いて単に何気なく話をした自分を深く反省させられた。

 やがて桜の咲く季節となり、一通の手紙を受け取った。

 奥さんからで、主人は私の申した通りの経過をたどっていったが、幸いに疼痛も発現せず、仕事も全部やり遂げた。私に礼状をかきたいが、書く手元もおぼつかないので、死んだらくれぐれもよろしく伝えてほしいという内容であった。

 また、私の同僚で整形外科医がいた。肺癌となり、手術不能と診断された。しかし従前と同様、毎日診療を続けていた。次第に病状が進行し、折々訪れると日に日に衰弱してゆくのが目に見えて来た。しばらく休むよう進言すると、自分には毎日頼って百名を超す患者が受診に来る。座して診療するだけであり極めて軽作業で、これが自分の生き甲斐であり、信頼されてくる患者に申し訳がない。倒れるまで頑張りたいと診療を続けていた。そして自分で診療が出来なくなるまで続けて死亡した。

 沖縄の老人も、整形外科医も自分の死を見つめて、いかに生きるか、逆にいかに死するかを全うしたものであると思う。確たる死生観をもって己を見つめ、涅槃に至って一生を終えたと思う。

 四苦、即ち生・老・病・死は生まれてから死ぬまで、老いもあれば、病もある。いわば人の一生でもある。それをいかに生きるか、いかに老いるか、いかに病むか、いかに死するかである。人間が必然的に背負っているこの四苦を、いかに幸福な人生に転換出来るかが、仏教の基本理念であり、単に人の一生ではなく、「いのち」であると思う。

 医学は長足の進歩を遂げた、昭和三十年代までは結核が死亡率の第一位であった。今日では十七位となり、伝染病も極めて減少し、天然病も地球上から姿を消した。診断技術もその進歩は隔世の感がある。疾病構造も大きく変化し、内視鏡、CT、あるいはMRIのごとく、小さな病変も的確に把握し、平均寿命は著しく伸び、世界一の長寿国となった。医学は「死」に対する闘いであり、大きな成果をもたらした。翻って医療は、この日進月歩の医学を駆使して、いかに生きるか、逆にいえば、いかに死するかを求めるものである。単に病める人を治療するのみでなく、体の不自由な人にはその手を貸してあげる。心を病んでいる人には優しく語りかけ、生きる力を与える。病める人の心を心として共に歩む、これが医療の基本であり、それは「生」への闘いである。

 私が慶応義塾大学の外科学級室に入局し、診療に従事していた時、大きな疑問に遭遇した。一つは、若い学生で足に発生した骨肉腫であった。診断が確立すると足首から切断した。次に膝に転移して膝から切断、更にそけい部に拡がり、下肢をすべて切断した。不幸にして全身に転移して死亡されたが、こうして切り刻んでゆくのが果して外科医の使命であろうかと。

 又もう一つは、胃癌の手術後三年で全身転移を起こし、腹水も潴留し、脊椎にも転移した一人の老婆の主治医となった。癌性腹膜炎で脊椎転移のため非常な疼痛を訴え、ドアの振動でもひびいて痛みを感じ、靴音でも訴えた。私はドアのノブにガーゼを巻き、患者のベット前にはバスタオルを巻き、革靴をやめ、ゴム靴で診療に当たった。心臓には影響がなく、疼痛が強く眠れぬ毎日であった。

 そしてある晩、一人の男性が私の自宅を尋ねて来た。この患者の息子で、母を見ていると、毎日遅くまで努力され感謝しているが、一〇〇分の一も助かるいのちではないことを承知している。あの苦しみを見ているのはどうしても堪えられない、どうか楽にしてほしい。とのことであった。当時は安楽死のことは論ぜられてもおらず、一分一秒でもいのちを長らえるのが医の倫理であるという教育を受けていた。従って浴びるような輸血、点滴、強心剤を使用していたが、この息子さんから、最後の言葉に、人間として考えてほしい。の一言が耳にささり、輸血、強心剤を中止し、輸液中に鎮痛剤を入れ除痛し見送った。今でも、それが正しかったかどうかは別として、強く印象に残っている。

 生命というものは尊重すべきであると思う。

 有名な言葉に、生命は地球より重い、とあるが、私は生命は尊厳でなければならないと思う。

 ゆえに、生物学的な生命と、「いのち」というものは別であると考えている。医療の原点は「愛」であり、「慈悲」である。医療の相手は病める人間である。医療の原点を考えるとき、心温まる医療が必要であり、生きる力を与えることが求められている。

 心に残る医療、私の体験記コンクールで入賞した「最後の桜」は感動の記録である。

 それは、毎年桜の花を見るたびに「こんにちは、また会えましたね」と思わずつぶやいてしまう。それは生きたいと願いながら、癌という病に侵されて、とうとう亡くなっていった自分と同様の人達が、毎年満開になった桜の花となって私に会いに来てくれるような気がするという。そしてこの一年、よく頑張ったねというふうに微笑みかけているという。

 というのは、この筆者は、昭和六十三年に身に宿った癌を手術することになった。そして六十一年からは、難病の慢性関節リウマチという病にかかっていた。このリウマチという激痛から解放されるならば、いっそのこと癌で死んでしまったほうが余程楽ではないかと、半分投げやりな気持ちでいた。その当時三十歳になったばかりで、二人の子供や、主人のために頑張ろうということよりも、現代医学では完治不能という病を、二つ持っている現実が大変心うらめしかった。医者は沢山の患者を持っていて病気に関わっていても、病人という人間とは関わってくれないと思っていた。しかし、一人の医師に逢って大変感動した。この医師が最後の花見の話をしてくれた。それは、自分の受け持っている患者の病棟で、患者達が表に咲いている桜を見て「先生、あの桜の花の下で歌った花見をしたい」と思うので是非連れていってほしいと一同で頼まれた。その医師は良くなったら来年きっと行きましょうと言ったところ、私達はもう来年はこの桜を見ることが出来ないと思う。是非、是非連れていってほしいと懇願された。今、この患者を動かしたら病状が悪化するかも知れないと大変悩んだが、桜吹雪の下で大声をあげて歌いたいという強い希望に動かされて、車に布団を厚く敷いて振動を少なくして花見に連れていった。

 普段大変滅入っていた患者が、ウキウキして桜の花の下で歓声をあげて楽しい一時を過ごした。帰室するや患者達は「本当に有り難うございました。こんな楽しい花見は始めてでした」と心から感謝されたという。医学の力で、どんなに助けたいと思っても、それが叶わぬことがある。結局あの花見に行った患者で、次の年の桜の花を見ることが出来たのは一人もいなかった。この話を聞いて筆者は、病になんか負けてはいられない。もう一度この先生と一緒になって頑張ってみよう。そして早く治って、桜吹雪の下でまた花見をしたいと感じたという。それから四回にわたって満開の桜の下で過ごすことが出来、当時小さかった子供も小学校に入り、校門をくぐっていった。二つの難病を抱えて、生きるということが大変な試練であったが、こうした医師にめぐり逢え、生きる力を与えられ、いのちを大切にして行かねば、あの最後の桜の花見をした同病の人達に申し訳ないということで、この文を結んでいる。

 私はその後この作者とめぐり逢えることが出来た。生きているということに感謝の念を抱き、慢性リウマチも進行して車椅子の助けを借りる身であるが、リウマチ友の会の県支部長に就任し、同病の人々を訪れ、激励している日々を送っている。

 仏教では、六道輪廻を教えている。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上をいい、現実の世界を示し、この六つの世界を生まれ変わって死に変わったりする身であり、所詮迷いの世界である。しかし、四聖即ち、声聞・縁覚・菩薩・仏は、人間だけが尊厳性を持ってあらゆるものの頂点に立つことが出来る。ここに人間尊重の基本がある。心の持ち方によって、いのちの使い方によって六道にも、四聖にもなり得るものである。永遠のいのちがどのように存在するかを明らかにするのが六道輪廻だと思う。ここにいのちの輝きがある。

 アルフォンス・デーケンは死の準備(Death Education)を言っている。これは、死に関する知識・自分の価値観を見直す・不安・恐怖の感情をのり越える・末期患者と接する技術、としている。人は旅行に行く前、受験する前には準備をする。人間の卒業式ともいえる死の準備が必要であると指摘している。この準備の中で私は最も大切なことは、報恩・感謝の念だと思う。私は、おはよう、ありがとう、さようなら、という三つの言葉を知っていれば、世界が旅行出来ると思う。おはよう、こんにちは、ということはいのちの輝きであり、ありがとうは報恩感謝であり、さようならは旅立ちであると解釈している。生きている歓びは、阿弥陀仏によって守られ、生かされているのであり、阿弥陀仏に帰依するのが念仏であると思う。

 昨今、オウム真理教が問題になった。オウム真理教は宗教に値するものでなく、宗教に名を借りる暴挙である。冷酷無惨、恐怖をもって集団を絶対支配する。その非道は言語に尽くし得ない。宗教とは人間のみが関わりを持ち得るもので、生きる力を与えるものであり、人類の幸福につながるものでなければならない。オウム真理教、あるいは腐敗した官僚等を見るにつけ、戦後の教育の欠陥を思う。知性のみを求め、偏差値の高さをもってエリートと称し、やがてそれらが支配をする。必要とされる感性を養うことを忘れている。児童、生徒の教育も、知育を第一とし、物質的豊かさに走り、体も大きくなり肥満児等が生まれた。徳育は忘れられ、今日の状況となってしまった。知・体・徳の一体が、家庭も学校も社会も連帯して考えるべきではないか。

 浄土宗は法然上人の『一枚起請文』に建宗の大義が示されている。念仏をとなえること、即ち阿弥陀仏にすべてを帰依することによって、生きる力を与えられる。椎尾弁匡大僧正は「ときはいま ところあしもと そのことに うちこむいのち とわのみいのち」の歌を遺している。日々、全身全霊をもって勤めに打ち込んで行くこと、このことが阿弥陀仏にすべてを委ねることで達成される。

 今日、めまぐるしく変化して行く中で、やはり基本となるものは心であろう。冒頭で述べた「いのち」というものは、親から代々受け継がれて来たものであり、今日ここにあるのはその賜物である。勤めに打ち込んで行き、念仏をとなえることが、本当に生きがいのある人生を歩むことが出来、また安らぎをもって死を迎えられる筈である。ここに「いのち」の輝きを見出し、その生かされている人間が、「いのち」を慈しみ、いかにいきるか、逆にいかに死するかを求めて行かねばならない。

(平成9年度 浄土宗布教・教化指針より)