インドには、釈尊御生誕以前から発達した医学がある。今日でもインドの人達の保健・医療の大きな力となっている。これはアーユルヴェーダと呼ばれ、近年では西洋医学と異なる医学の体系として、日本や欧米でも活用され始めた。その考え方の基本は、症状や臓器などの病変の根本にある「生命活動の不調和」に着目し、これを是正して調和に導くことによって健康回復をはかろうとする。すなわち、身体にはドーシャ(病素)と呼ばれる生命活動の調整機能が三種に分かれて存在し、この三種が調和を保ったときが健康、一種あるいは二種に過不足が生じて調和を欠くときが病気であると考える。医療では、患者の三つのドーシャの状況を把握して診断し、その過不足を是正するための治療をおこなう。治療には、薬物やパンチャカルマと称する独特の施療も用いられるが、食事をはじめ、活動・休養そして環境を整えることに努力が向けられる。筆者は、インドで開かれた国際アーユルヴェーダ学会に出席した際、病院視察の機会を得た。病室の壁には絵画で日課が示され、早朝は屋外に出て日の出に向かって聖歌を合唱したり、食事や体操を規則正しくおこなうなど、生命リズムを豊かに保つ療養生活が指導されているのを興味深く見学した。
このような医療は、仏教教団設立の頃から仏教にとり入れられ、律の中には医薬のことも記されている。そして仏教とともに日本に伝えられ、四天王寺などの寺院の境内に「療病院」を設けて、こうした医療がおこなわれたと推察される。その一部はわが国の民間療法の中に取り入れられ、今日まで活用されてきた。近代医学が病気を対象とするのに対し、アーユルヴェーダやその流れをくむ医療は病気をもつ人間を対象として、身心両面から癒しをはかろうとする。また、治療だけでなく、予防や健康の増進のための努力も積極的にすすめていくのである。
これは仏教のめざすところでもあり、天台の摩訶止観ではこの医学が活用されている。それは、一つには修行僧の健康維持あるいは病気治療のために活用し、一つには病気にかかったとき、病気と積極的にとりくむことを通して自己を深くみつめたり生きる意味にめざめることを奨励していく。
念仏者は、念仏申す生活を通して生命力をたかめることができる。第五節で述べるように、念仏は阿弥陀仏すなわち、大いなるいのちの働きと対話していくことであると理解される。ひたすら念仏申すことで、たとえ病気があろうと、老化が進もうと、すこやかに生きる意欲を高く保つことが可能となる。それは、大いなるいのちの働きが、これとの対話によってよりよく働き、生命活動の調和が保たれるからである。
(平成9年度 浄土宗布教・教化指針より)