第三章 生活篇

念仏貯金について

 平成六年の正月のこと、私は約一カ月入院し泌尿器の手術をおこなった。手術は順調に終わり、医師から小マメに歩いたり運動をするようにと指示された。老齢なので回復が遅れる恐れがあるということであった。

 兼ねて入院時にそんなこともあろうと予測し万歩計を用意しておいた。手術後あちこちに取り付けられていた医療器具か外されたあと、早速病室の内外を歩行しはじめた。二日間ほどやってみて空しくなった。なぜこうした「数」だけをかぞえねばならないのか。私どもには立派な口称念仏というものがあるではないか。数量を計算するためにも珠数という器具がある。

 すぐに万歩計を珠数に切替えて病室内を歩きはじめた。ナム、アミ、ダブと念仏一回で三歩あるくことが出来る。三千四百回の念仏で楽に一万歩の歩行が可能だ。朝昼晩にやってみると殆ど労せずしてノルマが達成出来た。

 以来ここ三年、一回も欠かさずに実行してきた。そればかりか三カ月もすると法然上人がおっしゃる「行住坐臥」のお念仏に気づいた。三千四百回を、歩行とは別に十倍の毎日三万四千回のお念仏に増やして実践しはじめた。これも三年近くやっていると、それほどわずらわしくはない。東京と京都間を往復する車中、各種の集会、テレビを見ているあいだ、珠数をつまぐることが日常化した。

 現実にやってみると、はじめて念仏の功徳の巨きさに気づかされた。この年になって気づくなんて、浄土宗の僧侶としては恥ずかしい話だが、気づかないよりも良い。これが自分とお念仏との機縁だったのだ、と言い聞かせたりしている。

 功徳の最大は先ず健康保持だった。術後の回復は言うまでもなく、諸機能のすべてが順調で風邪一つひかなくなった。いわゆる快食快便快眠である。

 さらに精神の安定は肉体以上に効力が顕著である。車に乗っていて渋滞に巻き込まれても退屈やイライラが起こらない。「しめた、これでお念仏が稼げるぞ」と考えがスイッチされる。ちょっとでも時間が余ると、念仏をそこにあてはめることが出来る。

 障害は唯一つ、珠数を繰る左手の食指、その第一関節にマメが出来、潰れて皮がむけたりするぐらいだ。眠れないときも寝床でやっていると、じきに安眠へはいりこんでゆく。

 わが身の健康保持が当初の目的ではあったが、念仏の回数を増量するにつれて考えがひろがってきた。おのれ自身のためだけの念仏では意味がない。もっとひろく他人のためにお念仏を唱えねばならない。

 日に三万四千回だと月に百万回、年に千二百万回となる。これを十年間続けると一億二千万回だ。ほぼ日本の人口にあたる。つまり日本人の一人一人に代わってのお念仏ということになる。

 ではこれから十年間(厳密には七年余り)を生きることを誰が保証してくれるのか。いくら健康とは言っても七十五歳になった私である。いつぽっくりと阿弥陀さまにお呼ばれするかわからない。

 そのため目下「念仏貯金」の制度をはじめた。日課念仏を五万回に増やすのである。一万六千回は貯金しておく。この貯金が月五十万回、年間では六百万になる。三年間も貯めておけば、いつ死んでも目的は達成されるであろう。

 十年間を完全に生きとおしたらどうなるのか。命終の日から、なお三年間は余分に生きたことになる。これこそ文字通り延年転寿であろう。八十幾歳で死んだ人生を延ばし、盡きた寿命を転じているのである。

 そこで、この延年転寿のお念仏が、浄土へ行った私どもが阿弥陀仏の誓願を体して蓮のうてなからこの世を化導する力ともなるはずである。

 法然上人は毎日七万辺をお唱えになったという。とてもそこまでは届かないにしても、これまで心ひそかに疑問としてきた「何でそんな数量にこだわるのか」という小賢しい迷いが全くふっ切れた思いである。

 理屈ではない。現実にそれだけの数量をこなしてみて、はじめて宗祖上人の真意を思いが触れたようである。

 乱世頽廃のあの時代、智者の振る舞いをせずしてただいっこうに念仏すべし、という教えは現代にも生きている。口称念仏のなかであらゆる慾念や感情の起伏が消散してゆく。この念仏が功がつもって、死なば浄土へ往けるのである。これほど有り難い話はない。

 ところで歩きながらの念仏だが、これまでも「念仏行道」として浄土宗のだいじな行儀となっているのだが、さらにこの際、日常化した念仏者の本来の姿として把らえ直す必要がある、と教化の面で痛感している昨今である。

 十数年昔になる。私は第一回の「日中友好の旅」で中国を訪れた。山西省の石壁山玄中寺に曇鸞・道綽・善導の三祖堂を建てる鍬入れ式に参加した。趙樸初さんたちと玄中寺の宿坊へ泊まった。

 翌朝、山僧たちと朝の勤行に臨んだ。いや勤行の前、山僧たちは玄中寺の裏山をぐるり一周してくる。「ナモアミトーフ」と朗々と口称念仏をとなえながら峰々を廻るのである。私どももそのあとをついていった。

 おお、これが三祖三代にわたった口称念仏の原形なのだな、とその折は脳裏の一角を掠めただけにとどまった。

 近ごろ「西方指南抄」にある法然上人の「没後起請文」を読み直してみると「中陰ノ事」のなかに明記されている。

 宗祖上人の没後「不断念仏は不要」とある。怠け癖がついて「念仏の勇進を妨げる」とさえ指摘している。

 この書の信憑度については学者間でさまざまな意見の異同がある。また不断念仏の大切さもまた否定は出来ない。それはそれとして、勇進する念仏行道が、わが浄土宗におけるだいじな実践行であることも論をまたないところであろう。

 糖尿病という厄介な現代病がある。二千年ほど昔、ギリシャの医師が書いた記述によると「大食の病」と呼んでいる。

 「大食をかさねていると不治の病にかかってしまう。この大食は必ずしも大喰い、分量だけではないらしい。美食や偏食を指している。

 この大食の病にかかると、内臓が分解しはじめ液体化し、それが尿に混じって体外に排出してしまう。昏睡状態となり眼は見えなくなり、やがて死に至る。

 治療法はなく、日常生活の中で規則正しい食事と運動、さらには精神上のストレスを除去する以外にこれを防ぐ道はない、としている。

 同じ言葉を二千年後の医師たちも糖尿の患者に語りかけてはいないであろうか。内臓が溶解してゆくというのは間違いにしても、糖尿病で苦しんできた人が全世界で二千年来実在したことは事実のようである。

 仏教の原始経典にも大食して、ごろごろと怠け放題、不規則に眠って異性との肉欲の夢ばかりみている者は修行する資格がない、ともきめつける。

 さて、この現代の難病を食い止めるのにぴったりなのが「勇進する念仏」である。

 何を隠そう。私自身も二十年来の糖尿病患者である。血糖値だけが高く、未だ眼疾や昏睡、さらには高血圧、心筋の疾患はないが、手術の折はインシュリンを使用している。

 高かった血糖値が歩く念仏を始めてからはほぼ正常値に近いものに安定した。最近ベスト・セラーズになった「脳内革命」という本がある。西洋医学に東洋療法を採り入れた医学者の書いたものだが、脳細胞の空隙に分泌するホルモンに触れている。

 良質ホルモンのエン・ドルフィンと悪質なノル・アドレナリンとが内臓へ送り込む情報伝達の優劣を語り明かす。悪質なノル・アドレナリンは毒蛇の毒性につぐほどのもので、これが脳細胞に浸されると、内臓の働きは鈍化してしまい、諸病の原因を造る。だから良質なエン・ドルフィンが分泌され易いような日常生活を保つように勧奨する。

 そのためには毎日五千歩は歩く。日常会話にもつとめて声を大きくする。くよくよと悩んだりせず、明るい人生面を見渡すように心がける。

 どれもが口称念仏にぴったりである。これに「勇進」を加算したら効果は倍増であろう。

 平成十年は法然上人が撰述された「選択本願念仏集」の八百年にあたる。選択集でも強調していらっしゃる。

 念仏を毎日一万遍相続すれば「延年転寿」の功徳があると。

 年を延ばし、寿命を転ずる−−明るく元気で、長生きできるのである。

 選択集は、さまざまな角度から念仏の本意と有り難さを説いているが、この現当利益も混迷する現代社会における念仏の位置付けでだいじな教えと言えるであろう。

 浄土門王の中村康隆猊下もその教諭で明言しておられる。

 念=気=歩である。それも初動の第一念、第一気、第一歩がだいじである。これをくだいて考えれば、暖かく豊かな思い、何ものにも挫けない強靱な気力、そして無心な行動たる歩み、となるはずである。

 二十一世紀をむかえようとして、混迷と乱想がいよいよ拡大してゆく社会を思うにつけ、念仏の価値と効用とをあらためて掌握しておかねばならない。

(平成9年度 浄土宗布教・教化指針より)