日本国憲法第97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と明示されている。この憲法の人権理念は、西欧の人権獲得の歴史の成果である。こうした人権特に信教の自由は、どのように獲得されてきたのであろうか。
【前史】 古代ローマ時代、神の下での平等を主張したキリスト教は、皇帝を絶対的権威とするローマ帝国によって徹底的に弾圧された。四世紀になって国教となり帝国の保護を受けた。一方キリスト教以外の他の宗教は邪教として異端とされた。その後のローマ帝国の崩壊、東西ローマ帝国、神聖ローマ帝国の成立など国家の盛衰にも関わらず、ローマカトリック教会は絶大なる宗教力を維持し続けた。国王が教会の聖職者の叙任権を持つ「国家教会制」の時代と教会が国家に優位する「教会国家制」の時代を迎えつつも、唯一の宗教的絶対権威の教会は国家と密接な協調関係にあり、互いの利益のために共同するという政教一致の体制が続き、信教の自由を根底にした人権が抑圧されていた。
「暗黒の中世」と呼ばれる時代のなか、十四世紀に人間性の解放を求めてギリシャ時代の文化を復興しようという文化運動ルネサンスが花開いた。この運動は本質的にはカトリック教会への挑戦であった。その中には教会の異端審問にかけられながらも、「それでも地球は回っている」と地動説を主張したガリレオもいる。
この精神的自由を求める潮流は、ついに十六世紀にルターとカルヴァンたちを指導者とする宗教改革へと結実した。彼らは地上の権威・国家と結び堕落したカトリック教会を否定し、純粋なキリスト教信仰の回復を目指した。これがプロテスタントである。ルター派とカルヴァン派の両派は以後政治権力を巻き込んで激しい対立と弾圧をくりひろげた。
【人権思想の誕生】 人間固有の奪うことのできない権利は国家に優越するという観念の成立は、プロテスタントの思想を基にして、十七世紀イギリスのロックの社会契約論に始まる。彼によれば、人間は自然の状態では元来、生命・身体・財産に関する権利を持っていた。この諸権利をより確実なものにするために、契約によって国家や政府を作った。自然法に基づくこれら諸権利は国家に先立って存在するので、国家はこれに反する法を作ったり、侵害したりしてはならないし、逆に人権の奉仕者にならなければならない。次いで十八世紀フランスのルソーは人間は生来自由で平等であるという立場から、同様にこの説を提示した。
【信教の自由の確立】 イギリスで宗教的迫害を逃れたプロテスタント達が建国したアメリカの各州で憲法が制定されたなかで、一七七六年六月のヴァージニア州の権利章典は、信教の自由のための闘争のうえに自然権の思想を重ね合わせた宣言として最初のものであり、そのなかで信教の自由が保障された。次いで七月にアメリカの独立宣言が出され、一七九一年に合衆国憲法修正第1条で個人の信教の自由の保障と、国教を樹立することを禁止する政教分離原則が明文化せれた。これを受けてフランス革命において、一七八九年「人及び市民の権利の宣言」のなかで自然法思想を打出し、信教の自由が公序を乱さない限りにおいて認められたが、政教分離原則は明文化されなかった。
(平成8年度 浄土宗布教・教化指針より)