布教資料

Ⅰ信教と自由と宗教教育

一、わが国における教育と宗教の分離

−その問題点−

 近代国家のほとんどは、基本的に宗教と教育を分離する方向をとっている。信教の自由の重みを自覚し、宗教が教育に果たす役割を尊重するからである。

 わが国が近代国家の仲間入りをするのは明治維新以降のことである。明治政府は王政復古を標榜し、祭政一致の天皇親政を目指した。祭政一致を基本とする天皇親政は、信教の自由、政教分離を根幹におく、欧米近代国家とは相容れないものが、その出発においてあった。その矛盾を露呈するのが、明治初年におけるキリシタン禁制とその解除である。

 明治政府は当初、江戸幕府の基本政策であったキリシタン禁制を踏襲し、浦上におけるキリシタンの迫害を行った。しかし、欧米諸国の強固な反対に会い、ついに明治六年キリシタン禁制の高礼を撤去することを余儀なくさせられた。それはまことに不完全な形での信教の自由の容認であった。欧米先進国なみの信教の自由の容認ではなく、基本的には天皇親政の絶対性を確立する国是は不変で、そのための神道国教化政策が進められ、仏教やキリスト教を軽視し、抑圧する方向がとられた。

 天皇親政の絶対性を確立するためには、天皇を現人神として神聖化する必要があり、そのためには、国民の思想教育が最重要課題となる。

 はじめ政府は神官をして国民教育に当たらしめるべく、宣教師に神官をあてて、その徹底にあたるが、容易に実はあがらなかった。明治五年教部省に教導職の職制が定められて、全国の神官と僧侶がこれに任命され、三条の教則にもとづいて説教教化にあたるのである。しかし矛盾はかくすことが出来ず、明治八年に至って大教院は廃止され、明治十七念仏神仏教導職は全廃されることになるのである。

 神官による国民思想の教育は所期の目的を達成することが出来なかった。が、国是を変えることはできない。天皇の絶対性を確立するために、思想教育上最も障碍となるものは神仏を絶対とする宗教である。宗教を否定することはもはやできないとしても、教育から宗教を除外することが必要となる。その具体的な現れが文部省訓令第十二号(明治三十二年八月三日)の発令である。

 この訓令によって、以後わが国においては、国公立と私立を問わず、一切の学校教育の中から宗教が排除されることになった。宗教と教育の分離である。

 しかしその裏で、神道非宗教の神道解釈によって神道のみは教育に介入し、国家神道として国民思想を支配していくのである。

 したがって訓令第十二号によるわが国の宗教と教育の分離は、信教の自由を尊重するための宗教と教育の分離という欧米のそれとは、基本的に出発がことなるのである。この訓令の発令以後、わが国は急速に天皇中心の偏佻な国家主義、軍国主義、帝国主義への道をたどるのである。その間仏教界やキリスト教界からの反発もあり、文部省においても幾度か、その修正が試みられたが、教育における宗教の地位を復活せしむるには至らなかった。

 宗教教育の自由は、信教の自由の重要な要素をなし、信教の自由は、思想信条の自由と深い関わりをもつものである。わが国の近代化の中で、取り返しのつかない誤りが、信教の自由と教育、教育と宗教の分離という点でなされてきたことに深い反省がなされなくてはならない。

 昭和二十年、敗戦によって、その誤りが指摘され、改正を試みているけれども、教育の誤りを是正し、教育的結果をもたらすことは容易ではない。明治以来培われてきた宗教軽視の風潮は、戦後における道徳教育、倫理教育、さらなは人間教育等、人格形成の重要な面において、欠陥を呈する最大の要因をなして今日に至っている。ひとたび教育が道を誤り、長くその誤りを続ければ、それを正すに数倍の年月を要するのである。

 教育の問題は国家にとっても重要な問題であり、その中心課題が、宗教と教育であるとするならば、宗教者にとって、教育問題は一日もなおざりにすることのできない重要課題である。さらに教育がこと程左様に重要であるならば、その関わり方についても、宗教者は、深い認識と高い見識をもつことが必要である。

(平成8年度 浄土宗布教・教化指針より)