三、「本願」と常民

 前項で見たように、「本願」の概念を理解するために、知識人は観念の世界でいろいろな概念を論理的に組み立ててこれを理解しようとする。しかしそれは抽象的な概念でしか理解できない。これに対して民間において全く普通の一般的日常生活を送る人々、つまり常民はそのような抽象的概念では理解できず、むしろ表象的なものを通じて理解しようとした。特に人間生活における儀礼や行事は習俗の中で最も重要な部分をなすものであるから、法会などの仏教行事は、常民の宗教生活や信仰生活を支える表象的部分を暗示するものがある。

 浄土宗の念仏信仰との係わりにおいて、浄土宗の固有の法会として、最も民間に深く流布し、関わりのあるものに「十夜法要」がある。十夜法要は、少なくとも戦前、浄土宗の一般寺院において最も盛んな行事として、壇信徒のみならず広く地域社会に定着していた法要であった。

 十夜法要は、本来旧暦の十月五日(又は六日)から十五日の十日十夜にたわり行われる別時会で、今日では一日ないし二日間に短縮して行うのが一般的である。この十夜を修する依拠として『無量寿経』下巻の「此の土に於いて念仏の行を修すること十日十夜なれば西方浄土に於いて徳を積むこと千年に勝れたり」を経証とし、歴史的な成立根拠としては、『真如堂縁起』に説く、永享年中平貞国が三日三夜の念仏を洛東真如堂に修して霊夢を得、更に七日七夜の念仏を加修した故事。さらに明応四年鎌倉光明寺觀誉祐崇が、後土御門天皇の勅を得て浄土宗にて執り行うことを許されたという。これを以て浄土宗の通規としたとするのが、今日までの通説である。

 右の通説でこの法要を勤めるのであるなら強いて初冬の旧暦の十月五日〜十五日に限定しなくてもよいわけで、季節も問わなくてよいわけである。十夜はすでに俳句の季語(初冬)となり今日に至っている通りである。またこの法要には祖霊亡魂の追善供養と仏恩報謝の初穂米の供進がなされるのが一般的で、これが最も特徴的な行事である。従って祖霊と穀霊との一身同体性を今日の民族学は明らかにしてきているところから収穫祭の一面をもつことに注意したい。その有力な根拠として、西日本で行われる十月亥ノ子日の「亥子(いのこ)」と東日本に見られる十月十日の夜の行事である「十日夜(とおかんや)」などの行事は十夜と著しい類似性をもつ行事であるとする民族学の説もある。

 それに加えて『浄土宗法要集』の「十夜法要」の差定は、その表白には盛られていないが、回願文は「奉酬十夜法要西方願王阿弥陀如来成等正覚廣大慈恩」と唱するよう指示されている。また十月十五日は阿弥陀仏の成等正覚の日に当たり『華厳経』にその経証があるとする説もあるが、筆者の調査では検証することができなかった。その十夜の阿弥陀仏成等正覚説は、享保十二月五月、珂然撰述の『獅谷白蓮社忍微和尚行業記』巻上の「十夜会」の割註に、

  本邦 以二十月十五日一為ナリ二弥陀感応之日一 期シテ二十晝夜一結衆シ念仏ス 

  以テ為ナリ二別行ト一  聊カ酬二十劫正覚之大恩ニ一 世叫レ之謂二十夜会一 是

  レ浄土宗毎歳ノ桓式也 蓋シ従二洛東神落岡真如堂一始ルナリ

とある。

 これで見る限り「十夜」の結願の十月十五日は阿弥陀仏の成就正覚の日であり、本願成就の日であるとするのである。言い換えれば旧暦の十月十五日又は六日は新月が満ち始め、十五日に望月になる期間であって、これを浄土教的に表現すれば法蔵菩薩の修行の行程と成等正覚(望月)に至るを意味するものである。従って、常民は十月十五日の満月を望んで、これを阿弥陀仏の正覚と理解したものと考えられる。俳句に、

  一夜一夜月のおもしろの十夜かな 蝶夢   (草根発句集)

などとみえるのも、十夜の期間中の月の朔から望へとうつる過程をよく表している。そして、

  月かげのいたらぬさとはなけれども なかむる人の心にぞすむ

と詠じた法然上人も、

  光明■(遍)照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨

と頌した聖賢も、ともに煌煌と冴えわたる満月のかげを天空に眺めて、阿弥陀如来の慈悲を想い光明に摂取されることを希ったことであろう。

 このような意味で浄土宗の十夜法要は、固有の民俗信仰である初冬に行われる祖霊と穀霊信仰の上に、「大経」所説や真如堂、鎌倉光明寺等の別時念仏の縁起でもって包み覆い一宗法要として発展成長せしめたものと理解したい。それとともに十夜が本願を満足して成等正覚し、阿弥陀仏に成られた記念すべき縁日であることを説くべきである。常民が初冬の満月を望んで、阿弥陀仏の成仏に擬し、その光明を「本願」と理解したのであろう。

(平成8年度 浄土宗布教・教化指針より)