Ⅱ最期の看とり

はじめに

 死をどの様にとらえるのか、死をどの様に受けとめるのか、このことが現代の人間、社会、文化のおおきな問題となっている。

 死は生とともに、宗教の最も重要なテーマであった。そして現代もその位置に変わりはない。では何故今、改めてこの問題を問わなければならないのであろうか。その一つは、死に対する人間の意識・態度に変化が生じてきたからである。社会学者のジェフリーゴーラは『死のポルノグラフィ』を著して、遺族は葬儀とそれに続く喪の期間にはなるべく悲しみをあらわすことを控える習慣が生まれていることを明らかにして、「悲嘆の禁止」が現代の特徴であることを示した。それに刺激された歴史学者のフィリップ・アリエスは西欧の歴史における死に対する人間の態度を整理して現代人の特色として死がタブーとされていることを明らかにした。(『死を前にした人間の態度』、『死の歴史』に詳しい)

 こうした「死の否定」は人々に新たなストレスを与えることになる。生を謳歌する現代の人々にあって、死は生を否定するものであり、死の悲しみに浸ることは周囲の人々に不吉な死のイメージを与えることになる、と考えられている。したがって悲しみに浸っていたいときも、周囲の人々にはなるべくにこやかな顔で対応することが、慎みある態度と受け止められ、余りに悲しみをあらわにする人には嫌悪の情を持つのである。こうした態度、考え方が死を忘れようとする文化(死の否定)である。それだけでなく死を忘れようとする文化は死を受け止めなければならない局面に立ったとき、どの様に対処していいかという手段を学ぶ機会を放棄したのである。伝統的に培われてきた死の準備教育が失われたのである。

 死、具体的には葬儀にたいして近代までは遺族だけでなく、親族や地域の人々が共同で関与し、担ってきたことの意味を問い直す必要があるのは明らかである。

 こうした学問的な成果を通して、西欧では「悲嘆の禁止」、「タブーとされる死」など〈死の否定〉の文化が明らかにされたのは主として一九六〇年代以降からである。デス・アウェアネス(死の認識)、メメント・モリ(死をおもえ)などの死を見直す運動が起こり、デス・エデュケーション(死の教育)が語られ、死の講座がミネソタ大学に開設(一九六三)されるなどの死を見直す運動が始まっていた。また医学の上からはホスピス・ケアが始まり、病をキュア(治癒)させることよりもケア(世話)することに意味を見いだしている。これまでの生命観、死生観に変革をもたらしたのである。こうした動きが運動して、死を拒否するのではなく、死をみつめ、死の受容のもとで、人間の生と死をとらえなおす時代を迎えているのである。

 日本では七〇年代に入って、「死の臨床研究会」(一九七五)「医療と宗教を考える会」(一九八六)等が組織され、医学・医療の範囲を越えて死を問い直す状況が生まれた。ここには医療に従事する人々だけではなく、倫理・哲学・宗教・法律など多様な範囲の人々が参加していることで知られるように共通した課題となっている。

 そこで問われるのは、告知、インフォームド・コンセント(説明と同意)、リヴィング・ウイル、尊厳死、クオリティ・オブ・ライフ(生命の質)、死の準備教育、グリーフ・ワーク(グリーフ・セラピー)臨終行儀などの問題群である。この多様な問題の解決に宗教が果たす役割は人間の生と死についての応答である。

 例えば、終末期の人の苦しみは身体的、精神的、社会的、霊的の四つがあると指摘されている。霊的な痛みは宗教的な痛みでもある。そこに宗教者の役割があると、期待されているのである。そして究極的な意味で死を超克できるのが宗教であるという思想的なレベルにおいてだけでなく、実践的な意味においても期待がみられるのである。死を語るだけではなく、死に向かって歩むことが求められているのである。

(平成7年度 浄土宗布教・教化指針より)