二、家庭教育と選択

 現代家庭教育は幼児教育や学校教育の前段階、あるいはしつけ教育だけといった部分的、通過儀礼的にとらえられがちであるが、生涯弥陀仏を慕い続け、弥陀仏もまた憶念し続け給う光の人生への方向づけこそが、浄土宗における家庭教育の目標であるという観点に立たねばなるまい。

 お念仏が若い家族の中で市民権を獲得するために、法然上人の選択本願の三重の選択をお借りして、家庭教育と専修念仏のはざまを繋ぎたい。

 (1)それ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法のなかにはしばらく聖道門をさしおいて選んで浄土門に入れ。

 聖道門が子育てに顔を出すべくもないように思われるが、「よい子」や「仏の子」を目標にすることは修行完成者を目指すことでもある。そのために「がんばれ!」と我張ることを要求し、立ち居振る舞い、箸の上げ下げ、生活習慣、言葉遣いに至るまでしつけようとする。

 昔は母親の寿命が短かったため、他家へ引きとられる子がかわいがってもらえるように、身辺の自立を子どもが関心を持った時にしつけた。基本的生活習慣の睡眠、衣服の着脱、排泄、食事などである。

 それも夜ぐっすり眠ること、人手を患わさない、朝一番に排便する、何でも食べる、とごく簡単なことだけである。幼児期から少年期に移行するころには人に迷惑をかけないことが努力目標になった。

 現代は競争社会に勝ち残るための戦法を家庭教育の主眼とするようになった。ある意味で聖道門的といえよう。

 浄土門は凡入報土の世界で、教える親も凡夫なら子もまた凡夫。弥陀仏の光明に遇って身意柔軟になり、歓喜踊躍して善心が自然に生ずるゆったりとした幸せの世界である。

 (2)浄土門に入らんと欲せば諸々の雑行をなげうって正行に帰すべし。

 ここでは布施も愛語も雑行となる。

雑宝蔵経』のお金をかけない七種の施し(無財の七施)①和らいだ面差し ②いつくしみのまなざし ③愛のあることばかけ ④心配り ⑤労をいとわぬ ⑥膝に座らせ ⑦添い寝する

 など浄土門の大慈悲に繋がってこよう。

 『往生要集』にみられる四摂法は、①布施・真理を教えたり、物を与えたりする ②愛語・やさしいことばをかける ③利行・身体と口と心で子どもに利益を与える ④同事・子どもと同じ立場に身を置くこと。

 など浄土門的な教育的行為であるが、母子関係にしぼり込めないので雑行におきたい。

 では正行は何か。『六方礼経』にみられる母父が子どもを愛する場合の五つの項目として、母父は次のようにしてわが子を愛する。

 ①悪から遠ざける

 ②善に入らしめる

 ③技能を学習させる

 ④適当な妻を迎える

 ⑤適当な時期に相続させる

 をもって子育ての正行と考えたい。

 (3)正行を修せんと欲せば正助二業の中には、なお助業を傍らにして選んで正定業を専らにすべし。

 業は身・口・意の言動と意志の総称であるから、子育ての助業としては、仏名を称する正定の業以外のすべての子を愛する言動やその思いである。正定業の口称念仏は誰がするのかと言えば、これは親たちが朝晩、あるいは行往座臥に時節の久近を問わず称えてみせるのである。それは子どもの為ではない。自己の往生の正因の為である。

 親のその姿が子に薫習して、すなおに念仏申す子が育つのである。

(平成7年度 浄土宗布教・教化指針より)