第三章

「選擇」と文化の諸相

 一、「選択」の読み方

 『選択本願念仏集』(以下『選択集』と略称する)には、古くから二通りの読み方が一般的に通用している。浄土宗では、「せんちゃくほんがんねんぶつ」と清音で読み、真宗では、「せんじゃくほんがんねんぶつ」と濁音を交えて読むのが、それぞれの宗派の特色であり、伝統的な慣用となっている。

 『選択集』はいうまでもなく法然上人の主著であるから、学校教育においても歴史教育上必要な歴史的名辞として、高校の日本史教科書に採用している。それでは、今、『選択集』の読みについて、高校教科書はどのように読みを振りつけているかを、筆者の手元にある数冊の教科書を通じて、出版年次順に並べてその傾向を垣間見たい。便宜上、左の通り掲出することにした。

出版年次 選択の読み方 書名 出版社

1 昭和41年 せんじゃく 新編日本史 山川出版

2 〃 52年 精髄日本史 自由書房

3 〃 55年 せんじゃく 高等日本史 帝国書院

4 〃 55年 せんじゃく 新日本史 帝国書院

5 〃 57年 せんちゃく 要説日本史 山川出版

6 〃 57年 せんち(じ)ゃく 詳説日本史 山川出版

7 〃 59年 せんちゃく 新日本史 自由書房

8 〃 59年 せんち(じ)ゃく 日本の歴史 山川出版

9 平成3年 せんち(じ)ゃく 新詳説日本史 山川出版

10 平成4年 せんち(じ)ゃく 新詳説日本史 山川出版

 この一覧によって、種々の傾向のあることをうかがい知ることができる。まず、この表では昭和四十一年以降しかうかがうことができないが、昭和四十一年以前、戦後早々のころまでの教科書は、昭和四十一年版とほとんど同様のものであったろうと想像できる。したがって、昭和五十五年版頃までは、「選択」の読みを「せんじゃく」と濁音を交える、いわゆる真宗読みで指導されていたことがわかるが、昭和五十七年版頃から「せんじゃく」、「せんちゃく」とも併記されるようになり、昭和五十九年版では「せんちゃく」のみの読みが付され、それ以降はむしろ「せんちゃく」の清音の読みに濁音の真宗読みが併記されるようになった。この一事は、過去約四十余年間の浄土・真宗両宗の宗勢や学会における係わり方が、そのまま如実に教科書に反映しているものと思われる。

 つまり、戦後早々から昭和五十年代中頃までの約三十余年間は、真宗が日本最大の教団としてその教線を誇り、これを背景に学界や教育界に大きく係わり、影響力が強かったことによるものと思われ、また宗風として宗儀や宗学の問題にはデリケートに反応を示す体質を持っている。これに対して、浄土宗は戦後早々より教団の分裂抗争が激化し、宗勢はいうまでもなく、教線も著しく沈滞不振の状況下にあり、教学・布教面においても弱体化していたことは否めない。加えて、宗擬問題や宗学上の異義問題については、予想外に寛大な宗風をもち、多少のことは黙視するという厳しさに欠けるところがある。したがって、『選択集』の読みが教科書でどうであろうと等閑視する傾向があり、この問題が宗議会や教学院や勧学院で取り上げられたということは、寡聞にして知らない。最近の宗議会で、「念仏為先」「念仏為本」の問題が取り挙げられたと聞き、やっと教義の問題が宗議会で論ぜられるようになったことを興味深く見つめたものである。しかし、ここで取り挙げた「選択」の読み方の場合は、被教育者の生徒たちに大きな影響を与えるから等閑視することは許されない。現在では、いずれの読みを付けても正解であるが、少なくとも昭和五十五年以前に修学した者は、「せんじゃく」が正解であって、「せんちゃく」の解答では誤答ということになる。まして一点を争う入試ならば大変なことである。最近の学校教育では、漢字はたいてい漢音で読むのが原則であるから、「選択本願」を「せんたくほんがん」と読む人も出てきて当然である。我われ教化者は十分注意の上、布教せねばなるまい。

 さて、昭和五十七年版以降から「せんちゃく」と読みが付されて採用されるようになったのは、決して自然にそのように採用されたのではない。宗務当局が教科書出版社に申し出て、浄土宗の意向を伝えたということも私は知らない。しかし、宗内の歴史家の間では、早くから採用されるべきだ、という意見があったが、それが社会的勢力になるにはあまりにも小さな勢力であった。こうした中で、昭和三十六年春の宗祖七五〇年大遠忌を始めとする数々の大法要が厳修された。これを機に教学の振興がはかられ、法然研究は格段の発展を見たことである。宗内の研究者たちのこの不断の研究活動が学界へ貢献することとなり、定説として採用されるようになったと見るべきである。幸いにして山川出版の教科書は、『日本浄土教成立史の研究』で有名な東大の井上光貞氏が執筆者の一人であり監修者であったことが、宗内の法然研究を紹介し、教科書に定説として採用されるに至ったものと想像される。

(平成7年度 浄土宗布教・教化指針より)