(一)釈尊の仏教とは

 その選択の対象となった仏教は、何を仏教と考えたらいいのか。

 仏教とは何か、と簡単に説明することは難しい。それは、仏教は奥行きが深く、二千年の長い間に、多くの国々を通り、多くの仏教の学問や宗派に別れ、さまざまに展開して今日に至っているからである。その学問も難しいが、使われている文字も分かり難い。

 それでは、どこに、「仏教とは何か」を説明しているのであろうか。古来『過去七仏通誡偈』の「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(仏道を害するような悪徳・悪行は作さぬようにして、功徳・善根を積んでいって、心を無我・清浄にすることが、仏教である)が有名である。

 また、三法印(諸行無常 諸法無我 涅槃寂静)・四法印(三法印に一切行苦を加える)という、まさに、仏教のトレードマークのような簡潔な句もある。

 しかし、あまりに簡単で、必ずしも総てを尽くしてはいない。どちらかというと釈尊が菩提樹の下で禅定に入っておられる姿で感じるような、禅定中心の仏教の姿勢が強く感じられる。

 もう少し、現代の全体の仏教を包み込んだ仏教を説明する基本的なものはないであろうか。それがあるのである。あったのである、と言った方が適当であろう。また、それに眼をつけて、多くの仏教徒や偉大な聖者たちが、仏教の流れを、次第に大きく拡大し、さらにさらに、万人の糧とし、生きるよるべとされたのである。

 それは何か、『初転法輪経』と呼ばれるお経である。一般の人は、今日著名なお経でもないので、なぜこれが仏教とは何かを説いているというのか不審に思われる方が多いことであろう。浄土宗関係の書籍、解説等でもあまり登場しない。しかし、次のようなわけで、仏教を語るには、また、浄土宗を語るためには、大変重要なお経である。

 理由は三つある。第一は、釈尊が亡くなられて百年位しか経たない時代に、阿育王が僧の規律と修行を述べる七つの経典の中の一つで、「律の中の最勝の(教え)」として推賞していることである。直接『初転法輪経』という名こそないが、これを仏教では『初転法輪経』として、注目してきた。ちなみに阿育王は、インドのほぼ全体を統治した王で、仏教、その他宗教を大切にし、その教え、法をもって天下、人心を治めようとした。各地には法大官なる官吏を派遣し、法の心で政治や人の道を広めしめた。また、各地に石柱を建て、磨崖を作り、そこに法勅を彫刻させ、人々に法の心を伝えた。その現存する彫刻文に、前記の七つ云々の語句が認められるのである。

 第二には、覚られた仏法の内容は、釈尊の最初の説法の中にあったと推察することは自然である。初転法輪とは、釈尊が仏教を覚られて、初めてそれを世に問うべく、鹿野苑で説かれたとされる内容である。仏教を覚られて初めての説法ということであるから、仏教として一番主張したい内容であったと思われる。さらに、釈尊から時代があまり経っていない当時であるから、直接釈尊から聞いた人は生存していなくても、二、三世代位しか経っていない時代であるから、その時代に仏教を代表すると支持されたこの経の意義は極めて重要である。

 そんなに大切な経であるのに、どうして主流からはずれ、『初転法輪経』が取り上げられなかったのか、というと、仏教の流れは大乗仏教に発達すると、初期も仏教の経典や教えは、小乗で未発達なものというような風潮に押し流されたものであろう。

 第三に、重要なわけは、この経の中には現代の各宗派の要素が皆入るからである。

 これに注目していた仏教徒や何人かの聖者がいた。『初転法輪経』の法と主旨を、三、四百年後、さらにお経風に展開して、『法華経』が編成された。さらに三、四百年後、世親が『法華経論』を著して解説した。世親は浄土教では大切な人で、『無量寿経優婆提舎願生偈』、通称『往生論』を著されていて、浄土三国伝来の祖師の一人である。そして、さらに百年位経って、中国では天台大師が「法華三大部」という大著を著して後世の仏教に大きく影響を与えている。法然上人は天台宗の比叡山に長く学ばれたから、これらの一連の影響を受けておられるであろう。

 ここに『初転法輪経』の法、法の阿育王、『法華経』、『無量寿経』の法蔵菩薩、法然上人と見てくると、不思議に「法」でつながっているのがわかる。縁無しとしないのである。このように振り返ってみると、『初転法輪経』というお経の名は、表面には出ていないが、最初から重要視され、そこに仏教の教えがある、ないしは仏教の中心が説かれている、とされたのである。

 このようなわけで、あまりなじみがないお経ではあるが、仏教の基本姿勢を今に伝える経典として、『初転法輪経』を考え、そこに示された仏法と法然上人の選択を明らかにしたい。

(平成7年度 浄土宗布教・教化指針より)