浄土への教えの中でも、阿弥陀仏の前生の法蔵菩薩本願の念仏を選び取る。浄土の多い中でも、法蔵菩薩は多くの浄土や浄土建立の願を「選択」して念仏を選ばれた。それは勝劣・難易の点からである。
この「選択」の言葉は、『無量寿経』では「摂取」となっているが、大経の古訳の『大阿弥陀経』、『平等覚経』では「選択」とある。法然上人は単に摂取とある訳語が選択となっている点に注目され、そこに意欲的な「選び取る」という強く、特別な思いを含めて、『選択集』の「選択」となったのである。今日、我々は数多くの選択肢の中を通過して生きている。例えば、送金を自動送金機で行うと、現金振替か、カード振替か、預金口座は普通か当座か、本店か支店か、等々を選択していかねばならない。いわば選択の時代である。法然上人の選択は時代を超えた永遠の選択である。
難行道とは、すなわちこれ聖道門なり、易行道とは即ちこれ浄土門なり
(『選択集』第一章)
(平成7年度 浄土宗布教・教化指針より)