一般に「いのち」と言う場合は肉体的「いのち」をいう。「いのち」は生命、寿命ともいわれ、生物の一なる人間が人間として存在し得る本源的動力であって、感覚、運動、生長、増殖等の生活現象を有機的に行なわしめる力と考えられる。その肉体の有機的体制の崩壊が死である。人間はだれでも「死にたくない」という本能的欲望をもっている。
古代中国の神仙説話に出る不老不死薬の探求や医療の発達はこれによるものであるが、人間の肉体的「いのち」は有限である。
『倶舎論』では心不相応法(肉体、心でないもの)に収められ、この身(色薀)体温(煖)と識とを持続せしめる原動力とされている。法然上人はこの「いのち」のある肉体について、「まして往生程の大事をはげみて、念仏申さん身をば、いかにもはぐくみたすくべし」といわれて、念仏申す人間の肉体的「いのち」を大切にすべしと説かれている。
(平成6年度 浄土宗布教・教化指針より)