ついで問題は脳死は機能の死か、器質(細胞)の死かという点であるが、「脳死臨調」では「『脳死は脳の全細胞が壊死に陥った状態』になって初めて起こり得るとの主張が一方にあり、社会的にも一つの論争点とされてきた。しかし(中略)脳の一部、例えば視床下部の細胞が、心停止後相当期間生き続ける場合のあることが指摘されており、脳の細胞がまったく死ななければ、脳死、ひいては「人の死」とは言えないとすれば、従来の「三徴候」によって死の判定がなされた場合でも「人の死」とは言えないという事態が生じかねない」と器質(細胞)死を退けている。脳死は脳の機能の停止を指しているのである。
死の概念が心臓死か脳死かという点に関しては医学の範囲と言ってよい。しかしそこに派生する問題には十分な注意が必要とされる。例えば心臓死は医者以外でも理解できる死であった。しかし脳死は医療従事者によって判定が下される死である。いわば、一般の私たちには「見えない死」となっている事が問題とされるのである。
(平成5年度 浄土宗布教・教化指針より)