(一) 法然上人の浄土開宗の意図

 法然上人の御法語に

 「われ浄土宗の立つる意趣は凡夫の報土に生まれることを許さんがためなり」とある。法然上人が天台宗や奈良の法相宗等の諸宗派に互して、浄土宗をあらたに開かれた。それは悩み苦しむ一切の人びと(凡夫)が仏の大悲を信じて念仏するならば、だれでも、この人生が終ったならば極楽浄土に生れることが出来ることをあかすためである。

 法然上人以前の仏教は出家といわれる専門家の仏教であり、それに帰依する貴族中心の仏教であって、一般の民衆はその恩恵に浴することはなかった。当時の貴族達は「現世安穏、後生善処」を願い、一家一族の繁栄のために祈祷し、死後も現世と同じ豊かな生活が出来る極楽浄土を願った。この貴族独占の仏教をひろく一般民衆に開放して、貴族も民衆も平等にただ仏の大悲を信じて、念仏するだけで阿弥陀仏の来迎をうけて、極楽浄土に生まれることが出来るとされた。ここにあらたに浄土宗を開宗された意図がある。

 この法然上人の万人平等救済の精神を受け嗣がれた門下門流の祖師達は各地に念仏の教えを説きひろめて、多くの人々を導かれた。浄土宗は本来念仏による民衆の平等往生を説く教化宗団たることを十分に認知するべきものである。

(平成5年度 浄土宗布教・教化指針より)