(5)死の不安の先取り

  現代の合理主義的な考えは古い伝統古い信仰を破壊したために、かえって死に対する

  心構えまで破壊したのではなかろうか。現代も死の現象は充満している。交通事故、

  薬物事故、災害事故等の不慮の死、無惨な死が横行している。日々の情報(新聞、テ

  レビ、ラジオ等)によって多くの死が知らされている。しかし、これは他人の死であ

  る。現代人は自己の死に対して忌避し、逃避している。そして生命の尊重、生き甲斐

  の問題が論じられているが、空虚なその場かぎりの論にすぎない感じをうける。死を

  考えることなく、死にたいと願うことは死の床にある重病人だけの、特殊な環境にあ

  る人のみの考えではなく、一般的な傾向ではなかろうか。

  死の不安を先取りすることによって、自己本来の意識に目覚めて、死の観念によって

  新しい「いのち」をはぐくみ、心豊かな人生に芽生えさすことが必要ではなかろうか。

  ここに浄土教の念仏による民衆教化の使命が存するのではなかろうか。

(平成5年度 浄土宗布教・教化指針より)