(4) 念仏生活に溶融する戒

 戒は仏教徒としてあるべき生活規範であり、日常生活の「しつけ」のごときものである。浄土宗義においては、戒は念仏に対して助業(異類助業)とされるが、これは念仏教徒をして「はぐくみ」助け、正しい行為をなすべく導くものである。したがって、平常、戒の精神を持っているならば、戒徳が次第に身心に薫習して、自然に戒法にかなった行為をすることになる。この時になって助業とされた戒法は念仏生活の中に溶融して意識せざる戒法となる。これを先学は念戒一致、または無戒の戒とも呼んでいる。

 しかし、その初めに三聚浄戒の精神によって、身心を規正する段階における戒を助業という。念仏教徒は念仏することによって、仏と三縁(親縁・近縁・増上縁)の関係ができて、仏は念仏する者を知りたまい、見たまい、目前に現れたまう。それで、仏の御前にては悪いことはできぬと自省するところに自然に止悪修善の行いをすることとなり、戒法にかなった生活をすることになる。ここに浄土宗徒の日常生活がある。かかるところより、五重相伝と授戒とはともに盛んに修するようにつとめるべきである。戒の止悪修善は外より制するものであり、三縁による止悪修善は内より湧き出るものと考える。

 一七日にわたる授戒、五重の行儀は、受者に大きな感化を与えるばかりでなく、檀信徒間の親睦がはかられ、寺院に対する関心が大きくなる。ことに五重相伝は浄土宗独特の行事であるから、寺院住職は努めてこれを修するように励むべきである。

(平成2年度 浄土宗布教・教化指針より)