6 本堂の浄土教的意義

 浄土宗寺院はほとんど阿弥陀仏、観世音菩薩、大勢至菩薩の三尊を奉祀する阿弥陀堂を本堂と呼んで中心の建物となっている。この建物において各種の宗教儀式が行われている。その内部構造は中心に「鏡」または「海」と呼ばれる広い板敷の間を有し、その奥に三尊が奉祀されている。多くの寺院の本堂が大体この形態をとっている。これは天台宗の常行三昧堂の形式より発展変化せるものである。

 板敷の「鏡」の奥に奉祀されている弥陀三尊は種々の仏具(幢幡、瓔珞等)によって荘厳されている。この荘厳の有様は『浄土三部経』に説く極楽荘厳を模したものであり、仏前の板敷の「鏡」は浄土の七宝池を示すものである。別言すれば『浄土三部経』に説かれる極楽浄土の有様を具体的事物によって表象したものである。したがって、西方十万億の極楽浄土を現世に示現したものとし、真の仏のまします極楽浄土が本堂であると理解すべきである。そして奉祀する檀信徒の位牌は極楽浄土に往生した祖霊であるとすべきである。

 『宇治拾遺物語』に京都府宇治市の平等院を記して、

 「極楽うたがわしくば、宇治のみてらをうやまへ」

と記している。このように華麗に荘厳された本堂は現世の浄土として畏敬の念をもって仏前奉仕をすべきである。

 いやしくも本堂また堂内の両脇陣をもって、物置所のごとく考えたり、寄附札の掲示場のごとく考えてはならない。極楽浄土には檀信徒接待用の座敷団や不必要な道具、寄附札はない、これらのものは別の収納所におさめるべきものである。

 良き香が焚きこめられて広々とした本堂に入ることによって、自ら手を合せ襟を正さしめるものでなければならない。いかに巧みな説法が行われても乱雑な道具の放置は信仰心を傷つけるものであることを心に止めるべきである。

(平成2年度 浄土宗布教・教化指針より)