2 佛教の縁起思想による説き方

 「おかげさまで」ということは、自身のみでなく、他の存在をも認めて、そのものに依って生かされ、生きている自己を知って感謝の意をあらわすことである。

 仏教では、この考えを「縁起」という。縁起とは、サンスクリット語ではプラチットヤ・サムトパーダ(Pratitya−samutpad)という。仏教の中心思想で、一切のもの(精神的な働きも含む)は種々の因(直接原因)や縁(間接原因、條件)によって生じ存在するということであって、時間的空間的に人間をも含めて、一切のものは相似相関の関係にあるということである。この因と縁による相関関係はつねに変動しているから、これを諸行無常という。

 そして、この相関関係が無くなれば、そのものは存在しなくなる。したがって永遠不滅のものはない。これを諸法無我という。

 しかるに人間は我欲我執の煩悩によって、相依相関の関係たる縁起の世界を無視するところに人間の苦悩があり、迷いや悩みが生ずる。

 人間は父母によって生れ、親子、兄弟姉妹、隣人、友人、社会の人々と常に種々な相関関係をもち、さらに太陽、水、空気等の自然、縁起の世界の中にあって、「いのち」を永らえている。即ち自然および社会の人々と相依相関の関係を保つことによって「生き永らえ」ているのである。いい換えれば、親、兄妹、隣人乃至自然があることによって「いのち」を永らえさして頂いているのである。したがって、「おかげさまで」多くの人々および自然によって、「いのち」を永らえ、「生かされている私」であることに思いをめぐらして感謝の心を持つべきである。この考えは現代社会人が持つべき最要の心構えである。

(平成2年度 浄土宗布教・教化指針より)