1 目標を立てる理由

 「衣食足りて礼節を知る」という古語があるが、現今は「衣食豊かになりて礼節を忘れる」といってよいほど世相は乱れている。現在、日本は経済大国と自認するほど物質は豊かになり、物質面では快適な生活をいとなむことが出来るようになったが、反面精神的な面においては誠に貧しく、自由主義が放任主義、個人主義が利己主義、無責任主義と曲解されて、多くの人々と共にある自己を忘れて、「自己一身のみ良かれ」とする我欲的行為に走るものの多きを見るのである。

 一般に動物は弱肉強食の社会であるといわれているが、野性動物研究者の言葉によると十分な食餌をしたとき、または自身に危害を感じないときは、無闇に他を襲うことはないということである。弱肉強食は生きるための最低の肉食である。仏教のいう少欲知足ということであろう。

 しかるに万物の霊長といわれる人間は如何なるものであろうか。生きるために必要以上のものを求め、華美な生活にあこがれて、他を痛め、自己一身の栄達のために他のものの存在を無視するごとき、いずれも利己的な我が侭な行為である。これは、我欲我執にとらわれた行為であって、家庭の平和を乱すばかりでなく、引いては国家社会の秩序を乱すものである。

 少年非行の問題や家族不和による破壊は個人の我欲我執によるものである。我欲我執による利己的な考えが家庭の悲劇を起す基となっている。またある特定のグループのみの利益しか考えない組合我は、事業所を倒産に追い込むものである。さらに一国の利益(国益)のみを追求して他国のことを考えない国家我、ある一民族の利益しか考えずして、他の民族を抑圧によるごときは民族我であり、人類の繁栄幸福のみを追求して、自然を忘れるがごときは人類我というべきであろう。かかる大小を問わざる我欲我執の考えと行為が人間社会の平和を乱し、果ては人類の滅亡にも連なるものである。

 最近の幼児連続殺害事件は個人我のあらわれであり、中近東における戦乱闘争は民族我によるものと思われ、南アフリカで行われているアパルトヘイト(人種隔離政策)は人種我によるものである。我欲我執とは、ただ人間個人の利己的な考えや、行為のみをいうのではなく、特定の集団のみの利益追求にあけ暮れて、他のものを抑圧し、存在を認めないことをいうのである。

 かかる我欲我執にとらわれた社会に対し、「はたして、これで良いのか」という反省の警鐘をならして、人間一人が単独で勝手気侭に生きているのではなくして、家庭、家族、隣人、社会、自然乃至は世界の人々の中にあって、その「おかげで」生きさして頂き、仏様、ご先祖の「おかげで」安楽な安堵した人生を送らして頂けるものであることを、広く人々に知らしめるために、本年度はこの布教目標を立てるのである。

(平成2年度 浄土宗布教・教化指針より)